児童文学おもろー② いたずらっ子による童話——ディーノ・ブッツァーティ『シチリアを征服したクマ王国の物語』

 

いたずらっ子による童話——ディーノ・ブッツァーティ『シチリアを征服したクマ王国の物語』(福音館書店 天沢退二郎/増山暁子訳)

 

深沢レナ

 

 

ブッツァーティといえば長編『タタール人の砂漠』や『神を見た犬』といった短編集の方が有名だろうが、ここでは『シチリアを征服したクマ王国の物語』(福音館書店 天沢退二郎/増山暁子訳)を紹介したい。

この作品は彼が姪たちにせがまれて描いた数枚の絵をもとに書かれたとされ、クマが人間の軍隊と戦うファンタジーである。息子を猟師に誘拐されたクマの王さまは息子を取り戻すために(あと食べ物を失敬するために)山から下りて人間と戦うことにするのだが、単純で素直なクマたちとちがって人間は性悪で残忍でずるがしこい。人間たちの策略にハマることなく王さまは息子を奪還することができるのか? クマと人間たちの戦いがいざはじまる! と、まあだいたいこういう感じの話であって、あらすじだけいえばいたって普通の児童文学なのだが、実際この本を読んでみるとかなりオカシイ。

まずはじめに登場人物が一人ずつ紹介されるのだが、これが相当に語り手の主観の入りこんだ紹介である。たとえば「クマのジェルソミーノ とてもまじめなクマで、もんくなしに信用できる。」「大公 たいへんな見栄っぱりで、一日に七回も八回も服を着かえる。それほどにしても、どうしてもやはりみにくいのである。」といったような調子。それだけにとどまらず、「トニオ レオンツィオ王の幼い息子。この王子については、たいしていっておくことはない。」「デ・アンブロジイース教授 たいへんに重要な人物。この名前をみなさんもすぐにおぼえてしまうといい。」「クマのサルニトロ レオンツィオ王の側近で、もっとも重要な人物のひとり。」「モルフェッタ公 いまは、それ以上は何も申しあげられない。いくらおしえてといわれても、だめ。」などとキャラクターの重要度をあらかじめ教えてくれているのだから便利だ。その上紹介にはかなりの字数が用いられていて、ぶっちゃけここの人物紹介読んだだけでこれから何が起こって何がどうなるのかだいたいわかってしまう。

そしていざ物語がはじまると、語り手は『トリストラム・シャンディ』的に語りを逸脱させていく。コロス風の詩が要所要所で差し入れられているのでもともとメタなつくりにはなっているのだが(その詩だってよく読むと変だ)、十二年後に話が進むと「またお会いしましたね。」と読者に語りかけたり、その他にも、たとえばゆうれいが出てくるシーンでは突然、おそらくこの小説を子供に読み聞かせているであろうお母さんたちに向けてのメッセージがはじまる。

 

 

お母さんたちの中には、こういうことをいう人がいる。「小さな子どもたちに、ゆうれいの話なんかして、いったい何がおもしろいのか、わたしにはわかりません。子どもたちはこわがって、そんなお話をきいたあとは、夜中にネズミの走る音をきいただけで、悲鳴をあげるんですからね」それは、お母さんたちのいうとおりかもしれない。でもつぎの三つのことは、頭に入れておかなければいけない。第一に、ゆうれいたちは——まあ、ゆうれいというものがあるとして——子どもたちによからぬことをしたことなど、一度もないし、いや、だれに対しても、わるいことなどしたことなんかない。…(中略)

第二に、いいたいことは、いまはもう魔岩城はなくなってるし、大公の都もないし、シチリアにクマはもう住んでいないし、この物語もいまとなってはすっかりむかしのお話だから、こわがることなんか何もないのだ。

第三に、この物語の中のできごとは、こんなふうに起こってしまったのだから、いまさら、もう、変えるわけにはいかない。

 

 

それから忘れてはならないのはこの本のイラストだ。ブッツァーティ本人によって描かれているポップな挿絵も本文に負けず劣らず魅力的である。(挿絵の目次なんてものまであるし)。ブッツァーティは晩年作家としてよりも画家としての活動を中心としていったようだが、彼の描くクマやゆうれいや空飛ぶイノシシたちはかわいいけれどもジョルジョ・デ・キリコを思わせるような哀愁をただよわせている。

語り手はまるでこの挿絵と一緒に戯れるように、しばしば挿絵で描かれている内容に言及し、「もしみなさんが、まえの戦いの絵を/よく、よく、ごらんになるならば/峠で風に吹かれてる/へんな人物に気がつくよ。」なんてリズムよく歌っちゃったり、時には挿絵に先回りしてツッコミを入れたりする。

 

 

攻撃は、完全な失敗だ。

しかし、だとすると、もちろん真実をえがいているはずの、つぎのさし絵を見ると、逆に、クマたちが城壁の上にたどりついている、中にはとりでの屋根にまであがって、大公の軍勢を見おろしているクマがいるのは、どういうわけだろう? いったいなぜ、さし絵では、クマたちの方がいまにも勝ちそうに見えるのか? どういう冗談なのだ、これは?

 

 

もはやブッツァーティにとっては挿絵と本文との境なんか存在しない。爽快だ。

ディーノ・ブッツァーティは1906年、北イタリアの小さな村に生まれ、1972年に亡くなった。リアリズム作家が主流を占めていた当時のイタリア文学において、ブッツァーティは寓意的な幻想の世界や不条理な物語を描いたために「イタリアのカフカ」と評されていたという。けれども、わたしの勝手なイメージではなんとなく、生真面目に目を大きく開いてこちらを見つめ返すカフカというよりは、作品の奥で舌をぺろっと出しているようなお茶目なおじちゃん、というような気がする。しょっぱなからネタバレしちゃったり、語りの自制が現在に飛んだり過去に戻ったり、突然よびかけたり、と思ったらすぐまた物語に戻ったり、そんな高度な語りの中では実は結構たくさんのクマたちが死んでしまっていたり、と、ブッツァーティは読者である子供を子供扱いしない。子供と同じように誰とも対等に遊ぶいたずらっ子ブッツァーティの童話、おすすめである。

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