詩と批評のあいだⅤ 放流されたことばたちのゆくえ——リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』

Ⅴ 放流されたことばたちのゆくえ ——リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(藤本和子訳)

  

 ことばは、固定されてはならない。ことばは、閉じ込められてはならない。ことばは時間によって、空間によって、絶えず意味をかえ、形をかえ、わたしたちの日常を流れつづける。
 たとえばこんなふうに。

 

 春の日の午後、〈アメリカの鱒釣り〉は「わたし」の友人だ。
 手紙の中で、〈アメリカの鱒釣り〉は言う。
「いくらわたしだって、あの場合はどうにもならなかったよ。階段をクリークにかえることなんかできやしない。」

 

 あるときはまた、〈アメリカの鱒釣り〉は、マリア・カラスをガールフレンドにもつ裕福な美食家だ。
 マリア・カラスは一緒にりんごを食べながら、〈アメリカの鱒釣り〉のために歌を歌う。
 〈アメリカの鱒釣り〉はパイの皮を一緒に食べながら、マリア・カラスに微笑みかける。
 そして〈アメリカの鱒釣り〉とマリア・カラスは、いっぷう変った胡桃ケチャップをハンバーグにかける。

 

 去年の秋、突如としてサン・フランシスコに現れたのは、おそらく〈アメリカの鱒釣りちんちくりん〉だろう。
 かれは脚のないヒステリーの中年アル中で、鳩の群れの中へ突っ込むようにして、ワイン片手にイタリア人の群のどまんなかにいきなり車椅子で割りこんで、いんちきなイタリア語で猥雑に喚き立てる。
「トラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・スパ・ゲッ・ティィィ!」

 

 ロンドン。
 かれはアメリカの鱒釣りのいでたちをしていた。夜ごとの殺人のために、アメリカの鱒釣りを衣装としてまとうのだ。かれは肘を山々でおおい、シャツの襟にはあおかけすをつけ、靴紐に絡まるように咲いた百合の花の間を深い川が流れていた。
 凶器 : 剃刀と、ナイフと、それとウクレレ
 やっぱりウクレレでなくちゃ。

 

 もちろん、アメリカの鱒釣りは人の形をしているとは限らない。
 ときに、アメリカの鱒釣りは、上級生たちが1年生の背中にチョークで書く落書きの文字となる。
 〈二〇八〉という名前の猫の暮らす〈アメリカの鱒釣りホテル〉にもなる。
 それから、アメリカの鱒釣り平和行進にもなる。アメリカの鱒釣り平和を支持せよ!
 アメリカの鱒釣り平和パンフ、アメリカの鱒釣りテロリスト、アメリカの鱒釣り検死解剖報告……。
「わたし」が思いつくのはアメリカの鱒釣りペン先。

 

 
わたしは考えていた。アメリカの鱒釣りならどんなにすてきなペン先になることだろう。きっと、紙の上には、川岸の冷たい緑色の樹木、野生の花々、そして黒ずんだひれがみずみずしい筆跡を残すことだろうな……。

 

 リチャード・ブローティガンが作品の中に放った〈アメリカの鱒釣り〉ということばは、ひとつの像を結ばないまま、ことばそれ自体として独立し、47の断章を流れにのって泳いでゆく。〈アメリカの鱒釣り〉が泳いでいったあとには、アメリカの鱒釣りペン先さながら、さまざまな光景のかけらが、ゆらりゆらりと、沈んだり浮き上がったりする。
 草地に柔らかくビール腹みたいに広がっているパラダイス・クリーク。
 雨で街路が溺死人の肺のようにふくらんだサン・フランシスコ。
 肉食植物のローラーコースターのように「わたし」以外の人々を連れ去る秋。
〈アメリカの鱒釣り〉はときに散らばり、破片となる。せむし鱒や、ポルトワインによる鱒死や、墓場の鱒釣りや、鱒釣狂、と姿をかえて、わたしたちの前に不意に訪れる。
〈アメリカの鱒釣り〉はいつもアメリカの鱒釣りなのではない、というわけだ。

 

〈アメリカの鱒釣り〉——そのことばにまとわされた性質はそのまま、『アメリカの鱒釣り』という作品の特質にもなっている。

 

〔科学的見地に基づいたアメリカの鱒釣り分析目録〕

1 主題  中心はないみたいだ。
2 人物  主人公らしい人物もいない。語り手の「わたし」はあかんぼとかの女と旅をしている。ときおり姿をみせる。そして消える。
3 時間  いったりきたりする。それぞれのエピソードにははっきりとした繋がりが感じられない。
4 距離  「わたし」は価値判断を加えようとはしない。近づいては離れて、自分のことについても他人みたいに語る。淡々としている。
5 結論  つまり自由に泳げるということ。

 

 ことばたち——かれらは、突拍子もない比喩をひきつれて、網をつけられることもなく、管理されることもなく、本筋とは関係のない奇想なイメージをつくりだしてゆく。銅像は大理石語で喋る。精液は慣れない光に会うとびっくりして紐状になる。魚たちは歌いながらワースウィック温泉に流れ込む。
「金のキレメが縁のキレメ」と歌う魚ども。

 

 こんなことばたちによってつくられた世界には、普通の論理も通用しない。
 滝は滝と書かれているからといって、一〇〇パーセント滝であるわけじゃない。滝は木立の中の家に通じる白い階段で、手で叩いてみたら、木の音がするかもしれない。犬があまりひどく吠えれば、たちまち風呂場は死人でいっぱいになるかもしれない。
 カッカと腹を立てて帰っていく死人たち。

 

 ブローティガンはことばをあそばせるのが上手だ。支配しようとはしない。彼は何もコントロールしようとはしない。自ら十三個の規則をつくって生活を管理し、自律しようとしたベンジャミン・フランクリンとは大違いだ。

 

〔ベンジャミン・フランクリンの十三徳(抄)〕

  一 節制  飽きるほど食うな、酔うほど飲むな。
二 沈黙  他人にも自分にも利益のないことを話すな。むだ話をするな。
三 規律  自分の物はすべて定まった場所におけ。仕事は一つ一つ定まった時になせ。
四 決断  なすべきことを果たす決心をせよ。決心したことは必ず実行せよ。
五 倹約  他人にも自分にも利益にならないような金を使うな。つまり、浪費をするな。

 

 やつにはユーモアのセンスなんてないんだから。

 

 けれど、フランクリンの影は、『アメリカの鱒釣り』のなかでちらほらしている。まず表紙からして、ワシントン広場のベンジャミン・フランクリン像の前に立つブローティガンの写真なのだ。
 ブローティガンの背後には小さく、ぼんやり、しかし確実に、高く周囲を見下ろすフランクリンの姿が映っている。
〈アメリカの鱒釣りちんちくりん〉が酔っ払って、車椅子から真っ逆さまに落ちたまま大鼾をかいて倒れているときも、手に帽子を持った金属のベンジャミン・フランクリンはその位置から見下ろしていた。
 フランクリンだけではない。さりげない顔をしてすっと通り過ぎていった文章のなかに、ブローティガンとは相容れなさそうな、いかにもユーモアのセンスのなさそうな名前がまぎれこんでいる。バートランド・ラッセル、ウィンストン・チャーチル、ニクソン、リンドバーグ、ヘミングウェイ、アドルフ・ヒトラー。
 いうまでもなく、彼らの名前は、すばらしい大理石の墓標や彫像や、いまいましい教科書なんかに刻まれている。そして、墓碑すらもたず、ぱさぱさに乾いた古パンのみみみたいなちゃっちな板切れに書かれて、雨に消えゆく貧しい死者たちの名前を、死んだあとも見下ろし続けるんだろう。

 

 いつかは、鉄道の駅の隣で熱い鉄板の上に卵を割り落す眠たげな即席料理のコックのような手つきで、めぐりくる季節がこれらの木の上の名前を消してしまう。いっぽう、富める者たちの名は、大理石のオードブルに空までとどく洒落た小径を跑足で行く馬たちの姿のような書体で刻まれて、いつまでも残るのだ。
 墓場クリークで、わたしは夕暮に釣った。ちょうど孵化期で、いい鱒がかかった。死者の貧しさだけがわたしの心を乱した。
 ある日のこと、すっかり陽も落ちて、わたしは家に帰るまえに鱒を洗っていた。そのとき、ふと、こんなことを思った–貧乏人の墓場へいって芝を刈り、果物の瓶、ブリキの空缶、墓標、萎れた花、虫、雑草、土くれをとりあつめて持って帰ろう。それから万力に釣針を固定して、墓地から持ち帰ったものを残らず結わえつけて毛鉤をつくる。それができたら外へ出て、その毛鉤を空に投げあげるのだ。すると毛鉤は雲の上をただよい、それからきっと黄昏の星の中へ流れさっていくことだろう。

 

 ブローティガンが描くのは、アル中でヒステリーで脚のない〈アメリカの鱒釣りちんちくりん〉だ。たった一枚のほうれん草しか入っていないサンドイッチを手にする貧者だ。冬の寒さをしのぐために精神病院にいくことを話す失意の画家たちだ。ちょっと頭の足りない開拓者であったり、お金がなく脱腸のせいでクールエイド中毒になった友だちだ。
 所詮、ベンジャミン・フランクリンはただの背景でしかなく、ウィンストン・チャーチルもアドルフ・ヒトラーもただの修飾語にしかならない。
 愛想のいいアドルフ・ヒトラーみたいな羊飼い。

 

 ブローティガンが泳がせたことばたちは、名前のない弱いものたちを呼び寄せる。そして、貧しさや死や暴力の重さに沈んでしまいそうなかれらを、ことばで浮かばせ、泳がせるのだ。蚤のサーカスだとか、キリマンジャロの麒麟レースだとか、数珠つなぎになって世界に張り渡された電線にとまっている小鳥たちだとか、一見どうでもよさそうな細部に吹き込まれた、ユーモアやイメージの浮力が、その沈みゆく弱い者たちを浮かばせるのだ。
 だからこそ、この話は、ほとんど意味のなさそうな断片だけで構成されている。ブローティガンは中心なんてつくらずに、自由気ままにことばを泳がせる。
 のんびりと釣り糸を垂らして、川辺に座っているブローティガン。
 川の中には、釣りそこねた鱒がたくさん泳いでいるのだ。

 

〔釣り旅および釣りそこねた鱒〕

一八九一年四月七日   釣りそこねた鱒  8
一八九一年四月十五日  釣りそこねた鱒  6
一八九一年四月二十三日 釣りそこねた鱒  12
一八九一年五月十三日  釣りそこねた鱒  9
一八九一年五月二十三日 釣りそこねた鱒  15

 

 そして、ブローティガンの放ったことばたちは、ふわふわと海流にのり、やがて、遠く神戸の港で釣りあげられることになる。

 

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