へその緒の国と非人間について

 へその緒の国と非人間について
                              

 あなたがご存知ないかもしれないということを考慮して説明しておきますと、わたしたちの国ではへその緒が何よりも重視されています。自分の両親とはいつまでもへその緒で結ばれていますし、結婚している場合は配偶者と子供と結ばれています。そうして栄養を供給しあって、互いに助け合って生きる。へその緒が人々のセーフティーネットとなっているわけです。あなた方は生まれるとすぐにへその緒を取ってしまうとのことですが、それでも社会がなりたっているというのは不思議なことですね。
 わたしたちの国では、まず、あるカップルが結婚することとなると、結婚式で国に二つ目のへそをあけてもらいます。一つ目のへそはもちろん自分の両親とへその緒でつながっているへそです。人は結婚するとそれとは別に、全く新しいへそを作ることになります。そして国に新品のへその緒を授与され、新郎新婦は新たにへその緒で結ばれることになります。それからスタンダードなコースでは彼らは工場に行って子供を購入します。工場ではわたしたちによって生産されたさまざまな子供たちがベルトコンベヤーの上で回っており、夫婦は順番に回ってきた子供を受け取り、自分たちの新しくできたばかりのへそと子供とのへそとを、夫婦のへその緒で結びます。こうしてへその緒で結ばれた新郎新婦と子供を「家族」と呼ぶのです。
 世の中にはたくさんの家族がいて、家族の一員それぞれがへその緒の伸びる限り好き勝手に歩き回るので、ときどきよその家のへその緒とからまってしまうというトラブルが生じます。そのために信号があるのですが、これだけの人々がいるのですから信号だけでどうにかなるものではありません。人と人とがすれ違えばほぼ必ずや、互いの家族のへその緒がからまってしまいます。そういうときは整備士さんがいち早く駆けつけて、からまったへその緒をほどいてくれます。整備士さんはいつの時代でも子供達にとってあこがれの存在です。困っている人を助ける職業が一番人気というのはあなた方の国でもきっと同じでしょう?
 むすぶ、つながり、といったものが何よりも重要視されているので、この国では「切る」という行為は縁起が悪いとされています。昨今では人々のへその緒を無差別に切るへそテロリストによる事件が増えてきていますが、それもこの国ならではの犯罪なのでしょう。人々は一度へその緒で結ばれたらよほどのことがなければそれを切ってはなりません。……ということに表向きはなっておりますが、実際にはへその緒切りはしょっちゅうとは言わないまでも普通に行われており、きちんと手術代を支払いさえすれば大概において黙認されています。夫婦の間で切るものもいますが、一度結婚するとへその跡がなかなか消えず再婚するのが難しくなってしまうのであまり多くはありません。一番多いのは、やはり、子供とへその緒を切るパターンです。工場から連れてきた子供が問題児だったり気が合わなかったりその容姿に飽きてしまったりすると、夫婦は子供とのへその緒を切ってまた違う子供とへそを結びます。遺棄された子供は解体工場に運ばれ、まだ使えるパーツだけを取り出し、古くなったパーツは再利用し新しい子供に作り変えます。そのような解体作業や工場での仕事はしばしば切ることを伴うため、安全上の観点からもわたしたち非人間に任せられています。
 非人間についても一応お話ししておきましょうか。工場で作られたけれども引き取り手がないまま育っていった子供たちや、さきほど申し上げたように両親に遺棄された子供が解体するにはもう成長しすぎている場合は、そのまま誰ともへその緒で結ばれることなく、工場からの栄養補給だけで育ち、非人間化の道を歩むこととなります。ええ、両親は子供とへその緒をいつでも切ることができますが、子供からは両親とのへその緒を切ることはできません。不公平でしょうか? しかしつながりとはそういうものなのです。もちろん、非人間として育ったとしても、大きくなってから誰かと結婚し、へそをあけて新たなへその緒を結ぶことで人間化することも可能です。
 人間化しないのかって? そうですね。いまのところ、人間化の道は考えておりません。いいえ、さみしくないわけではないです。わたしは誰ともへその緒でつながっていないし、わたしという存在が生きていることすら誰も気に留めていないかもしれません。正直なところ、将来の不安がないわけではないし、経済的にも誰のへその緒にも頼れないので贅沢する余裕はありません。ときには両親にへその緒をハサミで切られてしまったときのことを夢に見て、夜中、汗だくになって目をさますこともあります。
 けれども、わたしたち非人間は、なんといっても自由です。それはあらゆる不安を背負うことになっても、なお、十分に持つ価値のあるものです。交差点で人々のへその緒が絡み合い、整備士さんに誘導されている間に、人々の脇を、すっと通り抜けていくときのあの軽さ。工場での仕事が終わったあとに、誰にも知られることなく、裏の丘の上で沈んでゆく夕日と二人だけでする密やかな対話。そういったものが、わたしは好きなのです。それに、なんといってもわたしは、この工場での仕事が気に入っています。ありとあらゆる肌の色、眼の色、髪の色の子供たちが入り混じってベルトコンベヤーの上を流れていく光景、それをみていると、わたしはへその緒で誰ともつながっていないはずなのに、工場の子供たちが、みな、自分の家族であるような気がしてくるのです。

(『プラトンとプランクトン』Web企画 アナキズム特集より)

詩「膨らむ」

膨らむ

 

 ここのところ太陽が膨らんできている気がする。

 朝、洗濯物を干すときにビルの隙間から覗く太陽が先週からやたらと視界に入ってきて眩しい。太陽の方をちらと確認してみると心なしか大きくなっているように思える。そういえば十二月だというのに寒気がやってくる気配もなく洗濯物もいまだ短パンやTシャツといった夏物ばかりだ。僕は夕食の席でそのことを妻に話そうとするのだが仕事から帰ってきた妻はずっと職場の男の話ばかりしている。僕は白飯を口に運びながら、うん、うんと相槌を打つ。打ちながらも今日の白飯はやはり水を入れすぎたなと後悔する。おまけにホウレンソウの和え物も塩辛いしカブの味噌汁も煮過ぎだ。そんなことを反省している僕に妻は、ちょっと聞いてるの? と語気を荒げる。僕は妻の話に集中しようとするのだがどうしても白飯の水っぽさが気になってくる。炊飯器ではなく米炊き鍋で炊くようになってからどうもいまいち水加減が分からないのだ。そのうち妻は気分を害したらしく夕飯を残したままシャワーを浴びに行ってしまった。僕は妻の残した白飯を食べながらやはり水を入れすぎたのがいけないのだと思う。そんなこんなで太陽のことはすっかり忘れてしまう。

 次の朝太陽はさらに膨らんでいる。遠くに見える建物の幅と同じくらいの大きさだった太陽は今やその建物を飲み込むほどに膨れ上がって存在を誇示している。蒸し暑さが増し、短パンにタンクトップだけ身につけて僕はベランダに洗濯を干しに出たのだがふと鉄の柵に触れたときそのあまりの熱さに飛び上がった。これは尋常ではない地球の大事だ今日こそは妻に話さなければならないという決意を胸に妻の帰りをひたすら待っていたけれど妻はなかなか帰ってこない。夜遅くにやっと帰ってきたと思ったら若い男を連れているので太陽どころではなくなってしまう。聞けば職場の新人で、今日から我々と一緒に住むのだという。あら、昨日話したじゃない、と言われると話をちゃんと聞いていなかった自分が悪かったように思えてきて何も文句が言えない。とはいっても納得いかないので仏頂面で食卓に座っていたのだが、若い男は僕の作っておいた南瓜のポタージュと真鯛のマリネとトマトソースと茄子のラザニアを無我夢中で口に掻き入れ、こんなまるでホテルのてっぺんにある高級レストランのバイキングみたいな食事を毎日食べられると思うと嬉しくて幸せこの上ないです、と目に涙を浮かべながら言った。そんな男の言葉に僕はつい専業主夫としての自尊心をくすぐられて、いやいやこんなの大したものではないのだよ全然こんなものでよいのならいつでも作ってあげるよ何でも食べたいものを言ってごらん下手なレストランよりよっぽどおいしく作ってあげよう、と心にもないことを言ってしまう。手をとりあって喜んでいる妻と男を前に僕は今取り返しがつかない台詞を言ったのではないだろうかと後悔していたが、一つの布団の中で幸せそうに抱き合って寝ている妻と男の姿を見ているとまぁこれはこれでいいことなのかもしれないと思えてくる。そんなわけで太陽のことはすっかり忘れてしまう。

 翌朝目が覚めたとき窓から誰かの視線を感じて飛び起きると、覗いていると思ったのは人ではなく窓を覆い尽くすほど膨らんだ太陽だった。黒点がはっきりと見え、輪郭は熱気で揺らいでいる。僕がほったらかしにしている間に太陽はここまで膨らんでしまったのだった。僕は慌てて妻を起こそうと思ったが、せっかくの日曜日にゆっくり寝ているところを早く起こしてしまっては悪いと思い直した。見ると妻と男は顔に大粒の汗をかいている。寝苦しそうに息をする二人が可哀想に思えてきて扇風機を回してやろうと僕は物置から取り出してきた。扇風機を組み立て風が二人に当たるように調整する。カタカタと回る羽の音の中、寝返りを打つ妻の顔がくつろいでいるように見えて安心する。それから僕は男が目を覚ましたとき喜んでくれるように豪華な朝食を準備しておこうと気合を入れる。昨夜寝かせておいたパンの生地をオーブンに入れ、フレンチ風のオムレツを作り、ジャガイモを布で濾して冷製スープにし、最後にトマトを皿に盛って食卓に並べる。あとはパンの焼き上がりを待つだけだ。妻と男はまだ深い寝息を立てている。僕はソファに座って消音にしてテレビをつける。だがどの番組も太陽が膨張しているだとか日本人は避難しているだとかいった緊急報道をしていて面白くないのですぐに消してしまった。何かしなくてはならない大事なことがあったような気がしなくもない。そうだパンを確認しなければと僕は立ちあがり、オーブンのオレンジ色の光の下で少しずつ膨らむパンをじっと見つめる。

 

  (第一詩集『痛くないかもしれません。』より)