忘れられた「卵」への眼差し——Veganism:ヴィーガニズムについて

 

「Veganism:ヴィーガニズム」とは、動物への暴力に加担することを避け、動物を搾取することなく生きようとする考え方をいう。日本では「完全菜食主義」と訳されているが、正確には、動物の肉・乳・卵ほか、搾取と屠殺の産物である羊毛や皮革、毛皮などの購入・消費をしないことも含む。

その考え方はいまだ微力ではあるものの徐々に日本にも浸透してきて、わたし自身もヴィーガンであるということを最初の頃より周囲から受け入れられやすくなったと感じる。環境問題への意識が高まり、肉食と地球温暖化とに相関関係があるという事実が敷衍してきていることもあるからだろうか。身近なコンビニやチェーン店でも少しずつ大豆ミートや野菜を代替としたメニューが増えてきたし、最近だとお笑い芸人の中田敦彦もYoutube大学で紹介していて、ずいぶん状況が変わったなあと感心した。あいかわらず「Vegaphobia:ヴィーガフォビア(ヴィーガンを嫌悪する人たち)」の嘲笑は聞こえてくるが、一般的な人たちの間では「ヴィーガン=過激派」のようなイメージは以前より薄れてきたのではないかと思う。

 

わたしは数年前に肉を食べるのをやめた。厳密に言うならば「肉食をボイコットした」という表現の方が正しい。もともと肉を食べるという習慣自体に反対していたわけではなかったし、それまでは普通に動物性のものも食べていた。しかしネットで動物たちに関する記事が目に入ってくるようになるにつれ、わたしたちが「肉を食べる」というときに想起するあの牧歌的な「牛さん豚さん鶏さん」のイメージと、現在のわたしたちに消費されている動物の現状がいかにかけ離れているかを知ったのだった。それまで特売の肉のパックを何ら疑問なく買っていたわたしは、自分がその工業型畜産の暴力に無意識のうちに加担しているのだという事実に愕然とした。「これほど非人間的で非合理的な苦痛を動物に与えなくてはいけないのなら、この状況が改善するまでわたしは肉を食べなくていい」。それがわたしの肉食ボイコットのはじまりだった。

「高く硬い壁と、その壁にぶつかって砕ける卵があれば、わたしは常に卵の側に立つ」(*2)。その価値観は、実のところすでに多くの人が共有しているのではないかと思う。弱いものの味方でありたい。きっと誰だってそう思っているだろう。でも本当に問題なのは、どこに壁があってどこに卵があるのか、何が壁で何が卵なのか、自分が卵側なのか壁側なのか、その境界は得てして不明瞭で、そこに卵がいるという事実そのものが忘れられてしまっているということではないか。

肉を食べるのをやめて食のありかたを学んでいくうちに、わたしはしだいに魚介も食べるのもやめ、大好きだったチーズや牛乳を摂るのもやめ、動物性の素材を使った服や動物実験をしている恐れがある化粧品を使うのもやめ、いつのまにかすっかりヴィーガンになっていた。制約が多く禁欲的だといわれるヴィーガンになってみて感じるのは、意外にも自分がかつてないほど「ほっとしている」ことだ。それは健康状態が著しく改善して「ヴィーガン=不健康」という先入観を身をもって崩すことができたからだけでなく、つまるところ、大きなシステムに身を委ね見て見ぬふりをする罪悪感から解放され、自分で自分を損なわないですむようになったことが大きい。

「これでようやく安心してきみたちを見ていられる。ぼくはもう、きみたちを食べたりしないからね」。ベルリン水族館の照明の当たった水槽を見つめていたフランツ・カフカは、目の前を泳ぐ魚に突如として話しかけたという(*1)。このときカフカは厳格なベジタリアンとなった。カフカにとって魚とは忘れられた「卵」のひとつだったのだろう。

ヴィーガニズムを実践しようとすると、自分が口にするものすべての原材料をいちいち確認しなければならない。めんどくさく思えるかもしれない。たしかに相当めんどくさい。しかし、誰かを気遣うという行為は、そもそもめんどくさいものなのだ。自分が毎日何を食べているのかを確認するということは、自分がいったい何に加担しているのか、自分が何を傷つけているのか、自分が何の犠牲の上に生きているのかをミクロの単位から見つめ直し、自分の加害に責任をもつということである。悲鳴をあげる「卵」たちの声というのは、その存在にこちらから近づいていかないかぎりわたしたちの耳に聞こえてくることはない。

壁の前で押しつぶされそうになっているものたちすべてに手を差し伸べることは不可能だと思う。それでも手を差し伸べるか差し伸べないかの選択は、あくまでわたしたちの意思に委ねられている。ヴィーガンにならなくともできることはたくさんある。使っている卵を平飼いの卵にしてみる、肉の代わりに大豆ミートにしてみる、牛乳の代わりに植物性のミルクを使ってみる、クリスマスにチキンを食べない、週1日肉を食べない日を設ける(*3)、正しい知識を学ぶ。まずはそこからはじめてみてほしい。

 

認定NPO法人アニマルライツセンター

 

*1 ジョナサン・サフラン・フォア著、黒川由美訳『イーティング・アニマル——アメリカ工場式畜産の難題(ジレンマ)』より参照。ちなみに水族館も本当はアウト。水槽に動物を監禁することは、ストレス、病気、死亡という大きな代償を伴う。

*2 2009年エルサレム賞受賞時村上春樹のスピーチより試訳。

*3 「Meet Free Monday」。ポール・マッカートニーが地球環境保護などの目的で「月曜日は肉食をやめよう」と提唱しているキャンペーン。

ささやかに日常を彩る——イスマル・ラーグ監督『クロワッサンで朝食を』(2012年) (原題『Une Estonienne à Paris(パリのエストニア人女性)』)

 自分にとって大切な、かけがえのない人であるはずなのに、その人の寝顔を眺めながら、「どうかこのまま死んで欲しい」と願ってしまう。介護というものが人々にとって等しく辛いものであるのは、物理的や肉体的な負担と同じくらい、自分の心の奥底に渦巻く黒い感情と向き合うことを余儀なくさせられる精神的な負担も大きいからなのだろう。すっかり無力になってしまった姿、ぼけて別人になってしまった姿を見るたびに、かつての元気な姿を、かつてそこにあったはずの存在を、わたしたちは否応なしに想起してしまう。こんな姿を見るくらいならこのまま死んでくれたほうがいいと、ふと思ってしまってから、そんな風に思ってしまった自分のことを恥ずかしく感じる。あれだけお世話になったのに、自分を育ててくれた人なのに、安易に死を願うなんて自分はなんと恩知らずなのだろう、と。そして何も感じないように心の彩度を下げてから、その人が息をしているのを確認して、色彩を欠いた繰り返しの生活をまた続ける。

 

 エストニアの田舎町に住む中年女性アンヌは一人で認知症の母の世話をしている。アンヌの介護を支えるものはいない。娘と息子は遠くに住んでおり、12年前に離婚した元夫は酒飲みで未だにアンヌにつきまとい、彼女も彼を見殺しにはできず縁が切れないでいる。

 母の誕生日の夜、街でケーキを買ってきたアンヌはバスから降りたところで元夫に絡まれる。酔っ払って雪の積もった車道に寝転がってしまった彼を立たせ、腕を組んで支えて家に連れていったところが、玄関で無理やり犯されそうになる。なんとか彼を払いのけて階段をかけ上り部屋に入ろうとするものの、騒動に怯えてしまった母はドアに鍵をかけてアンヌを入れてくれない。怖がる母は目に涙をためて言う。「あんたは誰? 私の娘はティーナよ」。ろくでなしと結婚してしまったアンヌに失望した母は彼女をもはや娘として覚えていないのだ。そんな母をアンヌは優しく説得し、「ケーキを焼くわ」と抱きしめる。これが彼女の日常だ。疲れ切って感情を抑圧しているアンヌの顔は人生を諦めているかのように無表情で、実用一辺倒のくすんだ色の服が彼女をより老けさせている。

 ある夜、母の傍らで寝ていたアンヌは水を飲みにキッチンに立ったが、戻って母の寝息を確かめると呼吸していないことに気づく。母の手が硬くなっているのを確認し、ベッドに座り込んだアンヌの顔には、悲しみの表情も安堵の表情もはっきりとは読み取ることができない。

 母の葬儀の後、がらんどうのようになっていたアンヌの元に、以前所属していた介護の職場から仕事の依頼が舞い込む。パリに住むエストニア出身の老婦人の世話係だ。娘に電話して相談し、ぜひ引き受けるべきだと言われたアンヌは、重い記憶を捨てていくかのようにスーツケースに必要な荷物だけをまとめてパリに旅立つ。ささやかな期待を胸に夜の空港に降り立ったアンヌだが、雇い主である中年紳士ステファンと合流して車に乗るとそんな明るい気持ちもすぐにしぼんでしまう。パリに来るのが夢で学生時代には熱心にフランス語を学んだとアンヌが語っても、ステファンは考え事をしているようでろくに聞いていないからだ。アンヌは口をつぐみ、暗い窓の外を眺める。高級アパルトマンに着くとステファンは簡単に仕事の説明をし、寝室で寝ている老婦人に聞こえないようにアンヌにそっと告げる。老婦人のフリーダは「辛辣な皮肉屋」だが、振り回されないように、と。

 アンヌはステファンのそのセリフの意味をすぐに知ることになる。フリーダはただの「病弱で孤独なエストニア女」ではなく、母語であるエストニア語を決して話さない誇り高きパリジェンヌなのだ。朝食にスーパーで買ってきたクロワッサンを見て「プラスチックを食べろと?」と嫌味を言われ、お茶をわざとこぼされ、「家政婦なんかいらない」とさっそく解雇を言い渡されるアンヌ。困った彼女はすぐ近くでカフェを経営しているステファンの元へ行って助けを求めるが、今まですでに何人もの家政婦が同じ目に遭っているのを見ている彼は必死にアンヌを説得する。彼はフリーダの家へアンヌを再び連れて帰る。ステファンの姿を見たフリーダは表情を変え、彼に甘えて腕を組み、家政婦ではなくてステファンに面倒を見てもらいたいと駄々をこねる。アンヌはフリーダの態度を見て、それまで彼らを親子のような間柄と思っていたがどうやら違うらしいことに感づく。案の定、ステファンに訊ねれば、彼はフリーダのかつての愛人なのだという。フリーダはエストニア出身だが人生のほとんどをパリで過ごしていて故郷には縁がなく、夫亡きあとも裕福な暮らしをしてはいるものの、子供もおらず天涯孤独の身なのだ。わがままで気まぐれなフリーダには友達もおらず、カフェの仕事で忙しいステファン自身も今ではフリーダをもてあましており、かといって以前睡眠薬を飲んで自殺を図られたことがあったのでほっとくわけにもいかず、家政婦としてアンヌが雇われた。今や彼女にはステファンとアンヌしかいない、というわけだ。

 一度は国に帰ろうとしたアンヌだが、ステファンの再三の説得を断れず、また、故郷に帰るのも嫌だったのだろう。アンヌは辛抱強くフリーダの要求に応じ、次第に信頼を得るようになる。そしてフリーダというパリに住む一人のエストニア人女性の生き方を知ろうとし、彼女の語る昔の男たちの話に耳を傾け、夜になるとこっそり書斎の写真や新聞記事の切り抜きを見て彼女の過去を想像する。たしかにフリーダは辛辣な皮肉屋ではあるが、まだ若い頃たった一人でパリにやってきて生き抜いた自由な価値観を持った女性なのだ。フリーダの生き様は年齢にもエストニアの伝統にも縛られていない。いくつになっても自分が女性であることを忘れず、来客がなくても化粧をしてシャネルのスーツに袖を通し、ベッドに寝る時は片側に寄って隣に男のためのスペースを空けておき、暇な時間には必ず本を読む。アンヌはそうした自分のスタイルを確立しているフリーダの生活や、毎晩仕事が終わったあと密かに楽しんでいた夜のパリのウィンドウショッピングから、今まで知ることのなかった新しい空気を徐々に肌に吸収していく。

 一方、アンヌが故郷で母を亡くしたばかりだということを聞いたフリーダも、孤独なアンヌにかつての自分の姿を重ねたのか、少しずつではあるがアンヌに心を開き、自分を大事にする生き方を教える。出かけることなく家の中に引きこもって寝る時も自分の体を自分で抱きしめるように強く腕を組んでいたフリーダの心は、アンヌの存在によって次第にほぐれてゆき、二人の関係性はお互いにドアの隙間から相手を盗み見るようなよそよそしいものから、向かい合いで座って爪にマニキュアを塗ってあげる/もらうような距離に近づいていく。

 ある日フリーダは、まだパリ見物をしていないというアンヌに、二人でおしゃれをしてステファンのカフェに行こうと提案する。フリーダにとっては久々の外出だ。アンヌはどれにしようかとベッドに服を並べて、赤いトップスを選び、鏡を見ながら口紅を塗る。フリーダはアンヌの仕上がりをチェックし、普段着のダウンではなく自分のバーバリーのトレンチコートを着せて、グリーンのストールを後ろ向きに巻いてやる。パリの晴れた街並みを二人で腕を組んで女子学生のように服やセックスの話をしながら歩くシーンは、冒頭のエストニアでアンヌが酔いつぶれた元夫の腕を持って雪道を歩いていたシーンとまるで対極にあり、「とてもきれいよ」とフリーダに褒められたアンヌの顔には笑顔がこぼれている。

 ところが、アンヌとフリーダの良好になった関係性を図らずも壊してしまうのは意外なことにステファンだ。ステファンのカフェに到着した二人は当然大いに歓迎されるのを期待していたが、彼は紳士的に対応するものの「僕にも人生がある。悪いが、君を中心には回らない」とフリーダに告げてさっさと店の奥に戻ってしまう。ステファンにとってフリーダは、かけがえのない存在であると同時に疎ましくもある「早く死んで欲しい」存在なのだ。ショックを受けて帰ったフリーダは寝込んで食べることもやめてしまい、心配したアンヌはステファンに「あなたにとって彼女は死人なのね」と言って怒る。それは彼女がかつて自分の母に対し密かに抱いていた感情であるが、そう思うことを自分に対して禁じていた彼女はステファンのあからさまな態度を受け入れられない。ステファンは言う。「確かに彼女を愛したし、カフェも持たせてもらった。だが、店のせいで一生束縛されなきゃならないのか?」

 落ち込んだフリーダを励まそうとアンヌは一人思案して、フリーダのかつての友人であるパリに住むエストニア人たちを家に連れてくるが、アンヌのせっかくの努力は裏目に出てしまう。フリーダは彼らを招かれざる客だと言い、友人たちも「50年前、妻のいる男と寝ただけ」のフリーダを「エストニアの魂を失った」と批判する。逆上したフリーダは客人たちを追い返し、アンヌに対しても余計なお節介をしたと怒り、「どうせあんたは一生、エストニアの田舎者よ」「母親の代役はごめんよ」と毒舌を撒き散らす。言われたアンヌも堪忍袋の尾が切れ、「あなたがこんなに孤独なのは自分のせいよ。死にたいなら窓から飛び降りれば?」と捨て台詞をはき、荷物をまとめてフリーダの家を出ていく。

 アパルトマンを飛び出てアンヌが向かったのはステファンの元だった。彼はカフェの2階の個室にいて、アンヌはノックをして彼の部屋に入っていく。ネクタイを外して休んでいたステファンは彼女を優しく招き入れて言う。「この間、君の言ったことは正しい。僕は彼女の死を待ってる」。アンヌは答える。「分かるわ。私も母の死を待ってた」。大切な人の死を望むという、心の奥底にしまってなるべく見ないようにしていた感情を二人は告白し合い、互いの重荷を理解し、そうすることによって自分を許し合う。言葉を発するごとに距離が縮まり、背景に映る窓枠の中に二人の姿が小さく収まって、柔らかで親密な光が二人をまるごと許すように包むこの場面は、作品を通して最も優しい瞬間だ。

 よく見ていると、さりげなくステファンはたびたび隠れて酒を口にしているのだが、彼はわたしたちにアンヌの酒乱の元夫を彷彿とさせる存在でありながら、両者は確実に違う存在であることがここで強調される。待っててと言ったにもかかわらず元夫に無理やりドアを押し開けられたエストニアでのシーンに対し、ここではアンヌからステファンの部屋に赴いて招き入れられ、部屋に入ってもアンヌが自分でドアを閉める。アンヌの意思を無視して思い通りにしようとしていた元夫の姿は、今ではアンヌを一人の独立した女性として尊重するステファンによって置き換えられているのであり、そしてアンヌ自身ももう、娘に電話する癖からいつのまにか脱し、フリーダの暴言にもはっきり言い返すことで自分自身を粗末に扱わず、他人にも粗末に扱わせない女性と変化しているのだ。

 それまでは随所でアンヌが乗り物に乗っている姿が映されていた。冒頭のバスに揺られながら窓の外の景色を虚ろに眺める姿からはじまり、パリに着いて飛行機から意気揚々と降りたったにも関わらずその後すぐステファンの運転する車の助手席で気まずそうに黙ってしまう姿、フリーダに家を追い出されてパリを散歩している最中に乗った地下鉄でうっかり降り損ねてしまった姿。バスでも車でも地下鉄でも、アンヌはなんとなく心細そうな、居心地悪そうな表情を浮かべていて、その姿はどこにいても彼女が異邦人でしかないかのような、自分の家ですら鍵をかけて締め出されてしまって、どこにもあたたかく受け入れてもらえる場所のない、いつも他人に振り回されてきた彼女の人生そのものを表しているかのようだった。

 ステファンの部屋を出たあとに映されるのは、行き先の決まった乗り物に不安げに揺られているところではなく、アンヌが自分の足で歩いている姿だ。膝の見えるワンピースを着て、ストラップのついた高いヒールの靴のままスーツケースを片手にパリの街を颯爽と歩く彼女は、すれ違う男性が振り返るほど魅力的で、いくら彼女が「国へ帰る」つもりでいても、いまや彼女の存在はすっかりパリに馴染んでしまっていることが見ているわたしたちにとって明らかだ。しかしだからといってアンヌは第二のフリーダとなっているのではない。パリ見物の途中でアンヌは、以前フリーダに褒められたヒールの靴を脱いで、エストニアから持ってきたブーツに履き替え、黒いコートの上にいつものフード付きダウンを着て、エッフェル塔を見上げながら熱々のクロワッサンを頬張る。フリーダにパリの影響を与えてもらいながらも、アンナはエストニア人としての自分を保ち続けている。それは同じ金髪の移民であると同時に、エストニアを否定するフリーダとはまた違った、アンヌならではの「パリのエストニア人女性」としての生き方だ。

 一晩パリの街を満喫したアンヌはフリーダの元へ最後の挨拶をしにいく。アンヌを失ってしまったのではないかと落ち込んでいたフリーダは、彼女が戻ってきたものだと安堵し、当初は「ここは私の家」と言い張っていた自分のアパルトマンに「ここはあなたの家よ」と言って迎え入れる。そこには感動のキスもハグもない。ただドアを開けて、名前を呼んで、優しく部屋に受け入れるだけだ。アンヌは帰ってきたわけじゃないと言おうとして、奥の部屋へと戻っていくフリーダの後ろ姿をじっと見つめて、改めて、自分が本当はどこにいたいのかを悟る。

 

 まだアンヌがパリにやってきたばかりの頃、以前自殺未遂をしたのはステファンが原因かとフリーダに直接訊ねる場面がある。彼がこんなに尽くしているのはあなたを愛しているからなのに、と。それに対し、フリーダは「そんなに単純じゃないの」とだけ答える。この映画ではフリーダの死んだ夫のことも故郷の母や兄のことも、アンヌの姉妹や二人の子供のことも、ステファンの元恋人のことも、一瞬だけ語られることはあっても詳しく説明されることはない。わたしたちはどれだけ言葉を費やしたところで他人の人生や内面を完璧に知ることなど不可能で、わたしたちにできることといえば、その人の写真や私物を見て勝手に過去を想像することくらいのものだ。だがそれほど複雑で、決して理解しえないからこそ、わたしたちはある人の一部分を憎みながら、ある部分を愛するということが可能になる。その人の死を願ってしまうほど疎ましく思うと同時に、その人を愛おしく思うことは必ずしも矛盾しない。

 アンヌがフリーダの元に戻ってきたからといって根本的には何一つ解決してなどいない。きっとフリーダは死ぬまでわがままな「怪物」であり続け、アンヌとステファンは怪物の寝息を確かめ続けるのだろう。けれども朝食をいつもの決まりきったものからまったく新しいメニューに変えてみたり、あるいはちょっと近くのカフェに行くのに、いつも着ていたコートを脱いでそれまで着てみたことのないダウンに腕を通してみたりするだけで、わたしたちは諦めに満ちた日常をわずかに彩ることができる。自分を許すとは、そんなささやかな逸脱からはじまるのだ。

 

 

冷凍された物語——ケナス・ロナーガン監督『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016年)

 毎日ニュースや新聞ではおびただしい数の犯罪や事故や災害の報道がされていて、確実に当事者というのは存在しているはずなのに、都市に住むわたしたちは道を歩いて人々とすれ違うときその当事者たちの顔を見つけることはできない。もちろん彼らが胸に「犯人」とか「被害者」とか「遺族」とかいう名札をつけているわけでもなく、同じアパートのとなりの部屋に誰が住んでいるのかも知らないようなこの時代に、聞かれもしないのに自分から過去のことを語るわけもない。

 事故が起きれば人々は現場に群がり、驚きや怒りや悲しみの声を上げる。けれどひとしきり感情を発散させたあと、人々はまた自分の生活へと戻ってゆく。いつまでも他人のことを気にかける暇などわたしたちにはないのだ。十分に消費されつくして味がなくなり、「もうあなたたちの出番は終わり」と、視野の外に追いやられてぽつんと取り残された当事者の前には、ただ苦しみを乗り越えるための長い日常という道が延々とつづいている。

 その関係はまるで映画と観客そのもののようにも思える。その人の人生で一番味の濃い部分だけを切り取り、「物語」の形に整えて、観客の目の前に差し出して消費させる。それが映画という娯楽の孕む構造であるならば、ケナス・ロナーガン監督は、人々に忘れ去られたあとも確実に血を流し続けている当事者たちの存在にまなざしを向けることによって、映画の構造そのものを揺り動かそうとする。2000年の初監督作品『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』では幼い頃に両親を交通事故で失った傷をいまだに引きずる姉弟を、続いての2011年『マーガレット』では、自分のちょっとした過ちから老女を事故で死なせてしまった記憶から逃れられずに逡巡する女子高生の姿が描かれていた。

 そして本作『マンチェスター・バイ・ザ・シー』では、ある事故の後、誰に対しても心を一切開くことなく凍らせたまま生きている青年、リー・チャンドラーが主人公だ。

 

 

 ボストンで便利屋をしているリー・チャンドラーは、アパートの住人たちの要望に応じ、トイレのつまりだとか配管の水漏れだとかを修理している。愛想がなくいつも無表情で、喧嘩っ早くて挨拶もしないのでクレームも多いが、腕がいいので管理人からは往往にして許されている。

 リーは雪に覆われた半地下の質素な部屋に一人暮らしをしていて、誰に対しても、何に対しても、自分の中に踏み込ませないように壁をつくっている。仕事終わりに行ったバーでは、隣にいた若い女に話しかけられても拒絶し、自分のことをチラチラと見ていた男の客たちには言いがかりをつけて殴りつける。便利屋の客たちに言われるがままソファやらダンボールやら何から何まで次々とゴミ箱に捨てていく姿は、自分が手にしているものがなんであろうが大した違いはなく、何もかもを捨ててしまおうとしている彼の生き方そのもののようにもみえる。

 いつも通り淡々と雪かきの仕事をしていたリーのもとに、ある日一本の電話がかかってくる。故郷の港町マンチェスター・バイ・ザ・シーに住む兄ジョーが心臓発作で倒れたという知らせだった。特に驚くこともなく車で故郷へと向かい、病院で予想通りジョーの死を告げられたリーだが、ジョーの遺言の内容を知らされて激しい動揺を隠せなくなる。ジョーは、遺された一人息子パトリックの後見人としてリーを指名し、故郷に帰って一緒に暮らすようにと記していたのだった。呆然とするリーの脳裏には、ずっと凍らせていた記憶が否応なく蘇ってくる。妻と3人の幼い子供たち。散らかってはいるが暖かな部屋。仲間達と深夜遅くまで騒いでいたビリヤード。子供達のために薪木をくべてやった暖炉。立て忘れた暖炉のスクリーン。酒を買いにいこうと出かけた夜の道。戻ってきたら燃え上がっていた自宅。泣き叫びながら子供達を助けに行こうとしている妻。彼女を止める消防隊員。そして一部始終をただ見ているしかできなかった無力な自分。

 あまりにも重すぎる過去の匂いが充満しているこの街に戻って住むことなど到底できないと思うリーは、パトリックの後見人になってほしいという兄の遺言を受け入れることができない。リーはかつて自分の犯してしまった過ちを警察や法律が罰しなかった代わりに、自らボストンの牢獄のような柵のついた部屋にこもっていまだに自分で自分を罰し続けているのだ。便利屋として他人の家を直すことはできてもリーは自分の壊れた心を直すことができずにいる。死んだ兄はそんな風にいつまでも心を閉じたままのリーを心配し、故郷に戻ることで立ち直ってほしいと思ったのだろうが、リーの心はかたくなにこの街の記憶を拒絶し、仕方なくパトリックと暮らし始めてからも、街に面した部屋の窓を不意に殴り割ったりする。まるで自分に後ろ指を指すこの街そのものを破壊するかのように。

 そんなリーと対極にある存在として描かれるのが甥っ子のパトリックだ。アイスホッケーの選手として活躍している高校生のパトリックは、多くの友人に囲まれ、ガールフレンドをかけもちし、へたくそなバンドをやっていて、父を亡くしても皆に支えられてなんとか元気にしている。この小さな街で思い切り青春を謳歌しているパトリックは、自分の後見人になることを嫌がっているリーに不満を抱き、いつも誰に対しても無愛想なその態度を解せないでいる。

 リーとパトリックの違いが象徴的に描かれる場面がある。ふたりはそれぞれジョーの亡骸を見に行くが、冷凍されて白く乾いた兄の遺体をじっと眺めてハグをし、その顔にキスをするリーとは対照的に、パトリックは父の凍らされた姿を十秒と見ていられず足早に遺体安置所を出る。自分の心を過去のまま凍らせているリーが冷凍された死体に何ら違和感を抱かない一方で、今という生を謳歌するパトリックが時間を停止させる「冷凍」というものに過剰に拒否反応を起こすことは当然のことだろう。冬のあいだは墓地に雪が積もっていて埋葬することができないから、春になって雪解けするまで死体を冷凍保存しておこうとするリーに対し、パトリックは父を凍らせておくなんて絶対に嫌だと反対し、自分の要望が聞き入れられないと、しまいに自宅の冷蔵庫にあった冷凍チキンを見てパニック発作を起こすまでになる。

 リーはパトリックがなぜそこまで冷凍保存を拒否するのか、なぜ冷凍チキンなんかを見てパニック発作を起こしているのかまったく理解できないし、パトリックはなぜリーが誰に対しても心を開かず敵対的なのか、なぜ自分の後見人となって一緒にこの街で暮らすことをそんなに嫌がるのかを理解することができない。二人は別に嫌いあっているわけではない。むしろ相手を思って心配しあっているのに、互いの心のなかをのぞきこむことのできないまま、違うタイミングでドアを開け閉めするようにすれ違ってばかりいる。

 そんな硬直した二人の関係性を溶解するきっかけとなったのがジョーの遺した船だ。その船はまだジョーが生きており、パトリックがほんの子供で、リーも家族と暮らして幸福だった頃に三人でよく釣りにでかけた船だった。はじめは、モーターが壊れているし維持費がかかってしまうから売ってしまおうとしたリーだが、ふとした思いつきでモーターを直すことに成功する。直った船にガールフレンドを乗せて運転するパトリックのうしろ姿をそっと見守るリーの顔には久しぶりの笑みがこぼれる。

 こうして船の心臓ともいうべき壊れたモーターが動きはじめたことによって、リーの止まっていた心にもゆるやかな変化が訪れる。リーの頑なに固まった心を最も動かしたのは、ばったり出くわした元妻からの赦しの言葉だった。リーは慌てて逃げるようにその場を去るが、バーに行って酔っ払った末に他の客に殴りかかって怪我をし、連れていかれた友人夫婦に介抱されながら、何も語ることなくただただ黙って涙を流す。そうして怪我をして戻ってきたリーを見ても、もはやパトリックは以前のように「バカじゃないの」とは言わない。リーがリビングで寝ているあいだに、ふとリーの部屋に入ったパトリックは、ベッド脇のテーブルに3つの写真が置かれているのを見る。それは何にも興味がなく、何もかも捨ててしまおうとするリーが、唯一大切にしているものだった。写真の中身はわたしたち観客に映されることはない。リーの心を覗き見ることができるのは甥のパトリックだけの特権なのだろう。パトリックはリーの傷の深さを垣間見て、その写真に釘付けになったまましばらく動けなくなる。部屋を出たパトリックは、黙ったままリーのもとにいき、何か必要なものはないか、と声をかける。

 この映画では春が近づくにつれて街に降り積もった雪が溶けていく過程と、リーの凍った心が少しずつ溶けていく過程が並行して描かれている。雪が大気に触れれば少しずつ溶けていくように、凍りついた心も小さな触れ合いによって徐々に溶けてゆくものだ。

 といっても、その溶け方はほんのささやかなものだ。結局リーはパトリックの後見人になることを正式に辞退し、ボストンのアパートへと一人帰ることにする。リーはパトリックに言う。「乗り越えられない」。それは一見あまりにも救いのない言葉のように思えて、実のところ、それこそが救いの言葉ではないだろうか。たしかに物語のあらすじだけみれば「最後まで過去から立ち直ることができなかった失敗物語」でしかないかもしれない。けれどジョーの埋葬の後、2人並んで歩きながら、リーはボストンの今の部屋を出てパトリックが泊まりにこれるよう広い部屋に引っ越すつもりだという計画を恥ずかしそうに告げる(そしてこの時パトリックは「冷凍」されたアイスを食べている)。リーの心はわずかではあるが確実に溶けはじめているのだ。落ちていたボールを拾って投げやりに放るリーと、そのボールを拾って無邪気に何度も投げ返すパトリックの姿は、かつてジョーと3人で船に乗って遊んでいた頃のあたたかさを彷彿とさせる。

 ロナーガン監督は、大きな痛みを負った人間の背中をむりやり押して「幸せ」になることを強要したりしない。早く立ち直らなくてもいいのだと、もう少し自分のペースでゆっくり心を溶かしていってもいいのだと、あえて凍ったままでいることを許すその眼差しによってはじめて溶け始める心というものもあるのだ。そういう意味では、都市というのは「冷凍」にうってつけの場所だ。黙っていること、匿名であること、誰にも干渉されないことが許され、記憶を封印し、重い過去すら無色にすることができる場所。都市にはきっと、凍ったまま語られることのない物語が、誰に知られることもなく毎日すれちがっているのだろう。