メイと

 

 

晩ご飯をあげたら忙しい

わたしが戸締りしているとメイは

はやくはやく、といってくるから

ちょっと待って、といって

コートを着る

ここのところだいぶ日が長くなってきたから

手袋とマフラーは必要ないみたい

置きに戻ってから鍵を閉める

玄関の段差をおりるとメイは

リードを噛んで引っ張って頭を振りまくる

通りを掃除していたお肉屋さんのおばさんが元気ねぇと笑う

前に黒い雑種を飼っていたけれど油粕を食べて死んでしまったらしい

公園まで走って競争

どうやら今日は悪い方の爺はいなさそうだ

メイが草むらでおしっこをする

トイプードルのトリオがいなくなってからリードを離して

わたしたちはわたしたちだけの鬼ごっこをする

茶と白と黒の長い毛がとび跳ねる

でもすぐにメイの注意はそれて

ベンチのまわりに散らばっているポテトチップスを漁りはじめるから

捕まえてリードをつけて

公園の外に引っ張っていく

 

右手では太陽が傾いて

雲が淡いピンクに色づいている

チワワのおじさんと近況報告し

新興住宅が並ぶ閑静な通り

なぜかいつもメイはここの車道の真ん中の線を歩きたがる

だめだってそこは、といっても

ここじゃなきゃやだ、というから

まあ誰もいないしいいか、とわたしたちは真ん中をゆく

まもなく車の音が聞こえてきて

わたしが歩道に戻ろうとすると

メイがうんこをしようとするから

急いで脇へ引っ張っていく

黒のベンツが唸って走り過ぎる

 

わたしがまだ幼稚園の頃から

しぶとく残っている畑の脇を

もくもくと歩く

空の比重が少しずつ

赤から青へと変わっていく

わたしがこの街に戻ってきた数年前は

メイは肥満で大の散歩嫌いで

五分も歩いたら車道に寝転がって抵抗していた

わたしもこの街や人やこの街にこびりついた記憶が嫌いで

日が沈んでからしか散歩には行かなかった

でもいまやメイは標準体重となって

自ら散歩をねだるようになり

わたしも嫌なものからできるだけ逃れる技を覚えた

前までメイは

知ってる道しか歩こうとしなかったけど

だんだん知らない道を進んでいくようになった

前までわたしは

片耳にイアホンをして英語を聴きながら歩いてたけど

最近それをやめてみて

この街で見ても空はきれいなんだということに気づいた

 

夕陽が落ちていく交差点

三階建てのマンションがオレンジ色に染まり

良い子のチャイムが流れる

小学生の頃じゅんちゃんと一緒に

よくいたずらして怒られてた市民センターの前を過ぎ

青信号

爆音のバイクを追いかけようとするメイを制し

道を曲がる

新聞屋さんが一日の終わりの作業をしている

大小さまざまの植木の並べられた

良いお爺さん家のとなり

猫のたまり場になってるアパート

わたしは毎日しゃがんで声をかけるのだけど

メイがいるからみんななかなか近づいてくれない

軽トラの下にいる三毛猫に向かって

わたしがゆっくり瞬きしていると

メイは甲高い声で文句をいう

わたしは名残惜しくて何度も振り返る

メイがわたしを引っ張っていく

 

遅くなった足取り

家の前にきたから

なかに入ろうとするがメイは頑なに動かない

しょうがないから

のろのろと

公園に戻る

サッカーをしている子たち

きっとあきらくんたちだろう

昔はメイも混ぜて遊んでもらってたのだけれど

彼らの学年が上がるにつれて混ぜてもらえる時間も減っていって

彼らが中学校に入ってからは

メイは端っこで見ているだけになっていった

向こうのブランコにまたがった女の子たちが笑い転げている

伏せをしたメイのお尻がわたしのふくらはぎに当たる

あたたかな呼吸

雲が静かに流れ

電線を通り抜けてゆく

電柱がなければもっときれいなのにと思うけど

でも空にたわんだ黒い線が架かるのも

案外悪くないのかもしれない

街が濃い青色に沈んでゆく

あの色はなんという名前なんだろう

きっと昨日とはまた違う色

記憶に留めておきたくてわたしはじっと見つめる

 

どこからか玉ねぎを炒めるにおい

いつまでもボールを目で追っているから

そろそろ帰ろっか、という

どちらともなく立ち上がる

 

メイが玄関の段差をのぼっていく

わたしもそのあとをのぼっていく

 

 

 

 

 

詩「膨らむ」

膨らむ

 

 ここのところ太陽が膨らんできている気がする。

 朝、洗濯物を干すときにビルの隙間から覗く太陽が先週からやたらと視界に入ってきて眩しい。太陽の方をちらと確認してみると心なしか大きくなっているように思える。そういえば十二月だというのに寒気がやってくる気配もなく洗濯物もいまだ短パンやTシャツといった夏物ばかりだ。僕は夕食の席でそのことを妻に話そうとするのだが仕事から帰ってきた妻はずっと職場の男の話ばかりしている。僕は白飯を口に運びながら、うん、うんと相槌を打つ。打ちながらも今日の白飯はやはり水を入れすぎたなと後悔する。おまけにホウレンソウの和え物も塩辛いしカブの味噌汁も煮過ぎだ。そんなことを反省している僕に妻は、ちょっと聞いてるの? と語気を荒げる。僕は妻の話に集中しようとするのだがどうしても白飯の水っぽさが気になってくる。炊飯器ではなく米炊き鍋で炊くようになってからどうもいまいち水加減が分からないのだ。そのうち妻は気分を害したらしく夕飯を残したままシャワーを浴びに行ってしまった。僕は妻の残した白飯を食べながらやはり水を入れすぎたのがいけないのだと思う。そんなこんなで太陽のことはすっかり忘れてしまう。

 次の朝太陽はさらに膨らんでいる。遠くに見える建物の幅と同じくらいの大きさだった太陽は今やその建物を飲み込むほどに膨れ上がって存在を誇示している。蒸し暑さが増し、短パンにタンクトップだけ身につけて僕はベランダに洗濯を干しに出たのだがふと鉄の柵に触れたときそのあまりの熱さに飛び上がった。これは尋常ではない地球の大事だ今日こそは妻に話さなければならないという決意を胸に妻の帰りをひたすら待っていたけれど妻はなかなか帰ってこない。夜遅くにやっと帰ってきたと思ったら若い男を連れているので太陽どころではなくなってしまう。聞けば職場の新人で、今日から我々と一緒に住むのだという。あら、昨日話したじゃない、と言われると話をちゃんと聞いていなかった自分が悪かったように思えてきて何も文句が言えない。とはいっても納得いかないので仏頂面で食卓に座っていたのだが、若い男は僕の作っておいた南瓜のポタージュと真鯛のマリネとトマトソースと茄子のラザニアを無我夢中で口に掻き入れ、こんなまるでホテルのてっぺんにある高級レストランのバイキングみたいな食事を毎日食べられると思うと嬉しくて幸せこの上ないです、と目に涙を浮かべながら言った。そんな男の言葉に僕はつい専業主夫としての自尊心をくすぐられて、いやいやこんなの大したものではないのだよ全然こんなものでよいのならいつでも作ってあげるよ何でも食べたいものを言ってごらん下手なレストランよりよっぽどおいしく作ってあげよう、と心にもないことを言ってしまう。手をとりあって喜んでいる妻と男を前に僕は今取り返しがつかない台詞を言ったのではないだろうかと後悔していたが、一つの布団の中で幸せそうに抱き合って寝ている妻と男の姿を見ているとまぁこれはこれでいいことなのかもしれないと思えてくる。そんなわけで太陽のことはすっかり忘れてしまう。

 翌朝目が覚めたとき窓から誰かの視線を感じて飛び起きると、覗いていると思ったのは人ではなく窓を覆い尽くすほど膨らんだ太陽だった。黒点がはっきりと見え、輪郭は熱気で揺らいでいる。僕がほったらかしにしている間に太陽はここまで膨らんでしまったのだった。僕は慌てて妻を起こそうと思ったが、せっかくの日曜日にゆっくり寝ているところを早く起こしてしまっては悪いと思い直した。見ると妻と男は顔に大粒の汗をかいている。寝苦しそうに息をする二人が可哀想に思えてきて扇風機を回してやろうと僕は物置から取り出してきた。扇風機を組み立て風が二人に当たるように調整する。カタカタと回る羽の音の中、寝返りを打つ妻の顔がくつろいでいるように見えて安心する。それから僕は男が目を覚ましたとき喜んでくれるように豪華な朝食を準備しておこうと気合を入れる。昨夜寝かせておいたパンの生地をオーブンに入れ、フレンチ風のオムレツを作り、ジャガイモを布で濾して冷製スープにし、最後にトマトを皿に盛って食卓に並べる。あとはパンの焼き上がりを待つだけだ。妻と男はまだ深い寝息を立てている。僕はソファに座って消音にしてテレビをつける。だがどの番組も太陽が膨張しているだとか日本人は避難しているだとかいった緊急報道をしていて面白くないのですぐに消してしまった。何かしなくてはならない大事なことがあったような気がしなくもない。そうだパンを確認しなければと僕は立ちあがり、オーブンのオレンジ色の光の下で少しずつ膨らむパンをじっと見つめる。

 

  (第一詩集『痛くないかもしれません。』より)

月を失くす

 

鏡の前に立つと

僕の胸の真ん中に

マグカップ大の穴が空いていて

Tシャツもろともくり抜かれているから

きれいに空いた真ん丸の穴から

向う側の部屋が見える

胸にぽっかりと穴が空いた

と、僕は声に出してみる

痛みもなく

違和感もない

穴の縁を指でたどると

新品のトイレのように

つるん、と滑った

 

休み時間に

流れていく廊下で

ちらほらと視線を吸い込む

胸に空いたぽっかりと穴

教員室の

無感動な波の上に

浮かんでいる僕とぽっかりと穴を見つけて

誰かが手招きをする

 

「君は君の月を失くしたんだ」

ぼくはぼくのつきをなくした?

「地球と同じようにね」

ぼくとちきゅうがおなじように?

「元々月は地球の一部だったが

ある時なぜか千切れて離れた

月を失った地球は

その残された巨大な穴を

やり場のない涙で埋めた

それがいまの太平洋なんだ」

ふうんそうか

僕は僕の月をなくしたのか

じゃあ僕の月はどこにいったのか?

そもそも僕は月をなぜ失くしたのか?

 

帰り道で

柔らかく乾いた風を受け

軽い足取りと共に弾む

穴に空いたぽっかりと胸

この空いた胸を涙で満たして

そこに魚を泳がせたら

どんなにか素敵になるだろう

 

でも、

と僕は立ち止まる

 

僕の胸には底がないから

地球の真似をして

大きく泣いてみたとして

底のない穴にいくら涙を流しても

ざあざあと雨が降るだけか

 

ぽっかりが胸に穴と空いた

 

僕は太平洋を見下ろせる丘の

草の上に寝転がりながら

君がうらやましいな

地球(きみ)に語りかけてみる

地球(きみ)は回転りながら言う

太平洋(あいつ)

胸に抱えながら生きるってのも

なかなからくじゃないんだな、これが

 

ふうん、そんなもんなのかな

うん、そんなもんなんだよ

 

空いた穴にぽっかりが胸と

 

そして僕達はビール片手に回転りながら月を待つ