詩と批評のあいだⅡ 浮気者のための恋愛論 ———ジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』(都甲幸治・久保尚美訳)

Ⅱ 浮気者のための恋愛論———ジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』(都甲幸治・久保尚美訳)
  
                                                 

  

 ユニオール、お前にはアルマという名前の彼女がいて、その長くしなやかな首は馬みたいで、大きなドミニカ風の尻はジーンズを越えた四次元にあるようだ。月を起動から外しちまうほどの尻。お前に会うまで、彼女自身はずっと嫌いだった尻だ。お前がその尻に顔を埋めたいとか、その細くなめらかな首筋を噛みたいとか思わない日はない。お前が噛んだとき彼女が震える感じや、彼女が両腕でお前に抵抗する感じが好きだ。彼女がいなければ、お前は永遠に童貞を捨てられなかったかもしれない。お前は友人の男どもに自慢する。彼女は他の誰よりたくさんレコードを持ってるし、セックスのとき白人の女の子みたいなすごいこと言うんだ。素晴らしい! でもそれは、六月のある日に、ラクシュミって名前の一年生のきれいな女の子ともお前がやってることにアルマが気づくまでの話だが。
 ある時はまた、お前にはフラカという彼女がいる。黒い細身のワンピースを着て、メキシコのサンダルを履いてて、よくお前にくっついて本屋にいく。お前と同じくらい長く本屋にいても平気な娘は、お前が人生で出会った中でも彼女しかいない。インテリ女だ。少なくとも彼女は誠実だったけど、お前もそうだったとは言えない。二ヶ月も経たないうちに、お前は他の娘と付き合い始めることになる。シャワーで自分のパンティを洗う娘で、髪は小さな拳が集まった海みたいに波打ってる娘だ。それからフラカとの喧嘩が延々と続いたが、それでも彼女はお前と一緒にもう一度スプルース・ラン貯水湖に行く。夜、彼女はお前のベッドに入ってきて、互いの腕の中で眠る。けれども次の朝、彼女は行ってしまっている。ベッドにも家の中のどこにも、彼女がいたという徴は残っていない。
 お前は言う。おれは悪い奴じゃない。おれだって他のみんなと同じだ。弱いし、間違いも多いが、基本的にはいい奴なんだ。でもマグダレナはお前のことをそうは思わないだろう。彼女はお前のことを道徳心のないクソ野郎だと思ってる。たとえお前が、八〇年代風のものすごく大きな髪型をした女の子と浮気するという愚行をやめてからもう何ヶ月も経っていたとしても。
 ユニオール、お前はいつまでも懲りなくて、しょうもない浮気を繰り返し、彼女たちにバレ続ける。そして彼女たちはお前の元を次々に去っていき、お前は置いてかれる度に落ち込でしまう。ひどいときなんか、お前は鬱に完璧にやられてしまって、分子一つ一つがゆっくりとペンチで引き剥がされていくような感じだ。彼女たちは言う。じゃあ浮気なんかしなけりゃいいのに。その通りだ。だがそんなことを言われるまでもなく、お前は悔い改めようとしているのだが、その決意は長続きしない。お前はまた違う女の子に手をだす。それでも一度限りの出来事にできるとお前は思う。しかし次の日にはまた浮気相手の家に直行してしまう。
 それは呪いなのよ、と彼女たちは言う。あなたに流れる血が、あなたの運命を決めてしまっているのよ。お前は思う。そうだ、確かにもしおれが誰か別の人だったら、こうしたすべてを避ける自制心も働いたかもしれない。でもお前はあの父親の息子だし、あの兄貴の弟だ。お前の父親も兄貴もひどい男だった。まったく、父親はよく女に会うのにお前を連れて行った。車にお前を残して、部屋まで駆け上がっていき、愛人たちとやるのだ。そして結局父親はお前たちを捨てて二十五歳の女のもとへ走ってしまった。兄貴だってそれよりましとは言えなかった。お前の隣のベッドで女の子たちとやるんだから。最悪のたぐいのひどい男たちで、今やお前もその一人だと認定された。遺伝子が自分を避けてくれるように、一世代飛ばしてくれるようにとお前は望んできたが、単に自分を欺いていただけだとはっきりした。結局、血からは逃れられないもんだね、お前は言う。
 いや、違うわよ。彼女たちは言う。そんなの都合のいい言い訳でしかないじゃない。あなたは悔しいんでしょ? あなたはお兄さんに勝とうとしてるんでしょ? お前は黙って考える。もしかしたらそうかもしれない。思い返してみれば、ミス・ロラとのことだって、兄貴のことがなかったらしただろうか? 他の野郎どもはひどく嫌ってたあのミス・ロラ——すごく痩せてて、尻もおっぱいもなくて、まるで棒みたいだった。でもそんなこと兄貴は気にしなかった。あの女とヤりたいぜ。兄貴は言った。兄貴は生涯を通じて、ものすごい美男子で、学校でも白人の女の子たちさえ、やたらと筋肉のある兄貴に憧れてた。おまけに昔から色男で、すぐさま尻軽女たちを捕まえては、母ちゃんが家にいようがいまいが地下の部屋にこっそり連れこんだ。父親が出て行ってから恋人もつくらなかった母ちゃんは、ただ兄貴一人を完璧に甘やかし続けた。兄貴が父親の代わりみたいなもんだった。兄貴が癌だってことがわかる前から、母ちゃんはいつも百パーセント兄貴の肩を持っていた。もしある日、兄貴が家に帰ってきて、ねえ母ちゃん、人類の半分を皆殺しにしちまった、なんて言っても、母ちゃんは野郎をこう言ってかばうに違いない。そうね、あんた、もともと地球は人口過剰だったからね。
 お前は自分に問いかける。おれは兄貴がうらやましかったのか? おれは兄貴になりたいと思っているのか? 兄貴がいなかったらこんなことやらなかったんだろうか? 
 お前は誰からもちゃんと愛されたことがなかった。父親には捨てられて、母ちゃんには空気のように扱われ、近所の連中からはいつも兄貴と比べられていた。でも兄貴がいなくなってから、女の子たちはお前に注目し始めた。お前はかっこよくはなかったけど、相手の話をちゃんと聞いたし、腕にはボクシングの筋肉がついてた。お前は兄貴のように女の子を家に連れこむことはしなかったし、彼女たちの髪の毛をつかんでひきずりまわしたりなんてことはしなかったけど、どんなに素敵な彼女がいるときでも、浮気することはやめられなかった。いつも別の女と寝ようとした。そうやってお前は兄貴と同じ場所にいけると思ってたのかもしれない。女の子たちはお前の顔をじろじろと見る。ねえ、本当にお兄さんに似てるのね。みんなにいつも言われるでしょ。
 ときどきね。
 お前はだんだん兄貴になっているのか? だとしたら、これは素晴らしいことのはずだ。
 だったらなんでお前の夢はどんどん悪くなっていくのか? 朝、洗面台に吐き出す血が増えていくのはなぜなのか?
 ユニオール、お前は彼女たちにフラれたことを繰り返し語る。十七歳の時、十九歳の時、大学生の頃、もっと大人になってから、いろんな時代、場所、いろんな女の子、お前の恋愛は実にさまざまだ。けれど、結局お前の話はどこにも行き着いちゃいない。お前は太陽のまわりを回る月みたいに一つの点の周辺をぐるぐると語っているだけだ。一つの点、一つの空白。そう、お前は兄貴の死についてはこれっぽっちも語ろうとしない。お前はあくまでおどけながら浮気話を語るだけで、兄貴の死に正面からぶつからない。そんなお前のことを心配してミス・ロラはいつもお前に兄貴の話をさせようとした。そうしたら楽になるから、彼女は言う。
 お前は言う。言うことなんてある? 癌になって、死んだ。
 お前は逃避してた。ひたすらセックスをして。心が傷つくことなんて何も起きてないふりをするために。浮気することで逃げていた。お前は自分のしてることにものすごく怯えてた。でもそれに興奮してもいたし、世界の中であまり孤独を感じずにすんでた。誰とも親密になりすぎないように、いつだって女を掛け持ちして、浮気することで向き合うべきものから逃げてた。そしてお前はあえてバレるようなドジを踏んで、何度もフラれて、またかと思わせるほどしつこくさも悲しげに語ってた。そうすればお前は兄貴の死のまわりをぐるぐると回るだけですむから。
 けれど、お前はそうすることによって本当は兄貴の死を繰り返しているんだとしたら? 浮気をしてフラれることで兄貴の死を延々と再現しつづけているのだとしたら? お前は兄貴の死をなんどもなんども反復して自分自身を破壊しているのだとしたら?
 お前は浮気をするからフラれるんじゃなくて、フラれるために浮気をしているんだ。

 そしてまたお前は手に負えないほどひどい浮気者だってのに、ゴミ箱に捨てた電子メールを消しさえしなかったから、新しい彼女(まあ実際には婚約者だが、でもそれはそんなに重要なことじゃない)は浮気相手を五十人も見つけてしまう! そうさ、六年間にってことではあるけど、それでもね。五十人の女の子とだって? まったくもう。もしお前が婚約したのが素晴らしく心の広い白人女性だったら、お前も何とかやり過ごせたかもしれない——でもお前が婚約したのは素晴らしく心の広い白人女性なんかじゃない。お前の今度の彼女はサルセド出身のやっかいな女で、広いナントカなんて何一つ信じてない。実際、彼女がお前に警告し、絶対に許さないと断言してたのは浮気だった。あんたにナタを打ち込んでやるから、彼女は言い切った。そしてもちろん、そんなことしないとお前は誓った。お前は誓った。お前は誓った。
 彼女は玄関前の階段でお前を待ってて、お前は彼女のサターンを停めながら、彼女が仁王立ちしているのに気づく。そのとき、絞首台の落下口を太った盗賊が落ちていくように、心臓がお前の体の中を落ちていく。お前はエンジンをゆっくりと切る。大海のような悲しみに圧倒される。バレたことの悲しみに、彼女が決して許してくれないだろうとわかった悲しみに。お前は信じられないほど素晴らしい彼女の脚を眺める。そしてその間にある、もっと信じられないほど素晴らしいオマンコのあたりを眺める。
 こうしてお前は彼女にフラれる度に、兄貴に死なれる。