風の国について

わたしたちは家というものをもちません

わたしたちは所有をしないのです

わたしたちは決まった名前ももたず

そのときそのとき自分にふさわしい名前をつけては捨てます

わたしたちは計画を立てて未来を支配しようとはしません

ただ風に身を委ねるのです

わたしたちは消えて無くなることはありません

死によってわたしたちは生まれるのです

わたしたちは生まれたとき身体(からだ)をもっていないから

世界中にちらばった自分の身体のかけらを探しにいきます

手、足、耳、鼻、尻尾、肺、心臓、声・・・

わたしたちの身体はわたしたちにみつけられるのを

延々と待ちつづけて世界の各地に身をひそめています

自分の身体を完成させることがわたしたちの唯一の目的

でもわたしたちのかたちは定められていないから

完成だと悟ったときがわたしたちの完成形です

完成のかたちはそれぞれ異なり

4本の足と4本の手と2つの頭でできているものもいれば

翼のあるひともいて

立っているだけのひともいて

1つの目だけで完結するものもいます

大事なのはただしいかたちになること

わたしたちはただしいかたちをみつけるために

風にのり

場所から場所へと渡ってゆきます

ただしい身体を手に入れるためにはただしく風を読むことが必要

風の息の強弱をききわけること

風の輪郭をみきわめること

それは五感ではなく

思考でもなく

わたしの風がわたしを呼んだときには

わたしのなかの風の子が小さく渦巻いて呼応するから

バランスを崩して風と風の隙間にはまってしまわないように

風の中心点にしっかりとつかまり宙に身をゆだねます

風は(くう)でしかないように思えるけれど

ちゃんとそこに柔らかく満ちているから

捉えようとはしないこと

そうやってわたしたちは偶然を渡り歩き

ひとつひとつ自分のからだを回収しにいくのです

ときどき間違ったからだを拾いそうになることもあります

大きな深淵を渡るときには気をつけなくてはいけない

大きな深淵には大きな風が吹いているから

深淵からの轟に怯えて

恐怖や虚無に包まれると

うっかり焦ってちがう身体をただしいと思ってしまうのです

間違った身体を拾ってしまったら

わたしたちは重さに耐えられず

落ちて地を生きなくてはいけなくなります

地を生きるには

空にむかって家を、建物を、歴史を、価値観を、未来を打ち立てなくてはなりません

地は構築の世界

強い風が吹けば波に簡単に流されてしまうのに

地上では懲りもせずなんどもなんども積み上げては壊されたと言って泣く

けれどほんとうは

風には善意も悪意もないのです

手に入れると同時に奪われるのはあたりまえのこと

浮かべば沈み

進めば戻り

終わればまた始まるのだから

わたしたちは落ちない限りあてどなく風との戯れをくりかえすだけです

風は

わたしたちに教えてくれます

わたしたちが完成したとき

わたしたちはそもそも風であったことを

わたしたちは風と何の変わりもないことを

あらゆるものに風がやどっていることを

かたちが異なっても結局は同じであることを

そして

わたしたちは風を通じてどこまででもいけることを

風と混ざり合って同一になり

風の織りなす織物の中に組み込まれたあと

わたしたちは内からすべてを失い

わたしたちは世界を再現するために

また一から身体を探しはじめるのです

死の国について

ずっとずっと暗い、深海の底のもっと底、人々の忘れられた記憶のはるか下、太古の昔から変わらずにある場所、そこはあなたたちと繋がっている、あなたたちの中と繋がっている、あなたたちのへその緒の先、それは海の底に繋がっている、あなたたちは無から生まれてくるわけではない、あなたたちは海の底からそちらへ移っただけ、子宮はあちらからの入り口、あなたたちはあちらからそちらへ移っただけ、わたしたちの大いなる母はその時わたしたちを産み付ける、わたしたち「死」の卵を産み付ける、あなたたちの体の中に、産み付けられたわたしたちは、あなたたちの呼吸をききながら、卵の殻の中でずっと息をひそめている、わたしたちはあなたたちの中にいる、あなたたちがこの世に生を受けた時からずっと、わたしたちはあなたたちの中にいる、あなたたちは知らないうちにわたしたちを温め、そしてわたしたちは孵化する、わたしたちはあなたたちの体を食べて育つ、あなたたちはわたしたちがあなたたちを食べていることに気がつかない、あなたたちはわたしたちが外にいるものだと思っているから、わたしたちが中にいることに気がつかない、わたしたちはあなたたちの体を食べて育つ、わたしたちはなるべくゆっくりあなたを食べる、わたしたちはあなたたちの体がないと存在できない、わたしたちは存続するためにあなたたちを食べるが、あなたたちが死んだ時わたしたちも消えてしまう、わたしたちはあなたたちに依存している、わたしたちはあなたたちに寄生して生きている、けれどわたしたちがあなたたちなしでは存在し得ないように、あなたたちだってわたしたちがいなければ存在できない、あなたたちはわたしたちがいることによって完成する、あなたたちはあなたたちだけで完結することはできない、わたしたちがあなたたちを完成させる、わたしたちはあなたたちを食べるが、わたしたちはあなたたちを殺したいわけじゃない、わたしたちはただ生きたいだけだ、あなたたちと同じように、わたしたちだって食べなくてはならない、あなたたちだって何かの体を食べるのだから、あなたたちも食べられるのはあたりまえのこと、わたしたちはあなたたちを食べる、あなたたちは少しずつ損なわれてゆく、わたしたちがあなたたちを食べる時、あなたたちは痛みを感じることもある、あなたたちはあなたたち自身に原因があるように思うが、本当はそれはわたしたちのせい、わたしたちがあなたたちの中にいるせい、わたしたちが伸びをすれば、あなたたちはため息をつく、わたしたちが大きく育てば、あなたたちはみるみる生気をなくす、わたしたちが活発に這い回れば、あなたたちは落ち込んで寝込んでしまう、わたしたちが満腹で幸福に満ち溢れれば、あなたたちは絶望して死のうとする、あなたたちとわたしたちは常に呼応しあっている、あなたたちはわたしたちと戦おうとするが、わたしたちの働きを弱めることはできても打ち負かすことはできない、あなたたちがわたしたちに勝てたことは一度もない、あなたたちは負けたと言う、わたしたちに負けたという、けれどわたしたちは敵ではない、あなたたちはわたしたちを忌み嫌う、あるいはあなたたちはわたしたちを見て見ぬふりをする、まれにあなたたちはわたしたちが中にいることに気づいたがゆえにあざやかになることもある、でもわたしたちははじめからあなたたちの一部である、わたしたちはあなたたちでもある、わたしたちはあなたたちの中で成長しやがて蛹になる、あなたたちの最後の瞬間わたしたちは羽化し、あなたたちの体から飛び立つが、飛び立つと同時にわたしたちは消滅する、わたしたちの一生はそれで終わり、わたしたちは一瞬の羽ばたきのために生きる、それまであなたたちの体の中にずっと閉じ込められている、わたしたちは閉じ込められている、そこは光のない、生ぬるくて狭く、息苦しい場所、わたしたちが汗を垂らすとあなたは思わず身震いするが、わたしたちはあなたたちを突き破ることはできない、わたしたちは時がくるまであなたたちを突き破ることはできない、わたしたちはそれまで自分だけの体を持つことができない、わたしたちはわたしたちだけの体がほしい、最後のあいだだけのほんの一瞬の自由を感じるために、わたしたちは待っている、あなたたちの中にひそんで、あなたたちに気づかれないように、わたしたちは残りの時間を数えている、その時がくるまで。

海の国について

 あなたは海を見たことがありますか? 世の中には一生海を見ることのないまま人生を終える人もいるのだと、聞いたことがあります。海というものを知らないまま死んでいくというのはどういう感じがするのでしょう。わたしが砂漠を知らないのと同じようなものなのでしょうか。海を知らない人と、雪国を知らない人と、都市を知らない人と、砂漠を知らないわたしと、いろいろなところから別々のことを知らない人たちが集まったら、みんなの欠如を集めて世界の地図が作れるかもしれませんね。

 なんていう空想は置いといて、とにかく海とわたしたちの話をしましょう。わたしは辛くなったときや、落ち着きたいときは、いつも一人で海を見にいきます。海を見ていると、自分が無条件で受け入れられているような気がするものです。きっと、わたしたちはみんな海から生まれてくるからでしょう。海には太古の昔からのすべての記憶が集まっていて、わたしたちは一人の人間として生まれて海から陸にあがってくるとき、海の記憶から一人分の記憶をすくって、自分の体という容れ物に入れてきます。そしてまた、自分の個人の記憶をともなって、海に記憶を戻します。海とははじまりの場所であり、終わりの場所でもあるのです。

 生まれてくるとき、わたしたちの体にはすでに一生分の記憶がそなわっているから、体は重くて地に足がついています。記憶にはさまざまな種類があるけれど、その大半は、言葉によって形づくられています。わたしたちは普段、言葉に置き換えることによって、驚くほど多くの記憶を保管しています。だから地上には言葉をもたない動物はいないのです。わたしたち人間は、生まれたばかりのころ体に言葉がぎっしりつまっているので、他人を見ればやたらと議論をふっかけたり、小難しい単語を使ってなにかと説明したがります。そういう赤ん坊たちを見て、大人や年長の子どもたちは、かわいいかわいい、と笑ってあやします。笑われると赤ん坊たちはムキになってますます声高にまくし立てるのですが、赤ん坊というのは言葉まみれなものなのです。しばらくは身体中から言葉が垂れ流しになるのは避けられないので、おむつをはかせておきます。おむつをはかせておいたところで赤ん坊は喋るのをやめはしませんが、世話がかかるのはほんの1〜2年のあいだだけで、3歳くらいになると、子どもたちはおむつはがしの練習をして、少しずつ言葉を制御できるようになり、早ければ5歳には、すでに自力で意味抜きしはじめる子も出てきます。

 意味抜き、といってもあなたには馴染みがないかもしれませんね。文字通り、体から意味を抜くということなのですが、はじめは不必要な言葉から抜き始めることが多いです。せっかくなので、ちょっとわたしがやってみせましょうか。……たとえば、そうですね。では「誤謬」という言葉を抜いてみましょう。わたしの右手の人差し指を見ていてください。だんだんと、こうやって、指先から雫が出てきます。これが誤謬の雫です。この雫がわたしから完全に出ていったら、わたしの中には誤謬という言葉がなくなり、今後一切その単語を使えなくなり、その意味するところも理解できなくなります。……そろそろでしょうか。このくらいですね。このように一単語であれば、だいたいビー玉くらいの大きさになったら十分です。これでわたしの体からは意味が一つ抜かれたことになります。

 わたしたちの体からは、そのときそのとき、なくすに相応しい言葉が自然と流れ落ちてゆきます。わたしたちは年をとるごとに言葉をなくしていくのです。言葉とは思っている以上に重いものです。言葉をなくすにつれてわたしたちの体は徐々に軽くなり、そのうち宙に浮かぶようになります。わたしはまだ、このように少し浮遊しただけで留まることができていますが、もう何年かたてば、次第にわたしは文章を構築することもできなくなり、わたしが発する言葉は「怖い」「痛い」「好き」といった感覚や感情を表すものばかりとなり、他人に呼びかけたり答えたりすることすらできなくなり、やがて言葉というものをもっていたことも忘れ、この体は止まることなく上昇しつづけるでしょう。そうやって人は少しずつ天にのぼってゆくのです。わたしはまだそんな上の世界を見たことがないので本当のところはどうかわかりませんが、空高く、天の方では、言葉をもたない人間と動物たちが入り混じって暮らしているのだといいます。そこには価値判断がなく、過去と未来といった時間概念もなく、今が何年の何日なのかも知らずに、ただその日その瞬間を生きるためだけにのんびり生きているそうですが、それが生命の本来の姿なのでしょう。わたしたちはあるべき姿に還るのです。そして最後には、わたしたちは言葉以外のありとあらゆる記憶、最愛の人の顔も忘れ、自分たちが自分たちであることすら忘れ、何の意味ももたないまっさらな存在となります。重力から解放され、体の動かし方もわからなくなり、体それ自体もほどけ、すべてが小さな水滴となって散らばり、他から集まってきた様々な命の水滴たちとともに、雲をつくって、いずれ雨になるのです。

 よく他の国の人たちには、記憶が抜け落ちてしまうことは悲しくないのか、と聞かれます。なぜ、それが悲しいことなのでしょう? 人を忘れ、人に忘れられることが? 大切な人にわたしのことを忘れられたとしても、大切な人がどんどん無垢で無邪気になっていくのを見ることは、素晴らしいことではないですか? わたしたちはどんどん透明になってゆきます。忘れることはむしろ喜ばしいことです。何かを失うということを、どうしてそこまで悲しまなくてはならないのでしょう? 生まれたてで言葉に満ちていたとき、わたしは満たされているはずなのに、空っぽみたいでした。逆に言葉を失ってゆくにつれて、わたしは空っぽになっていくはずなのに、わたしの体が世界で満ちてゆくような、わたしと世界とが直接繋がってゆくような、そんな気がしてきます。失うということは、あくまで一面的な見方にすぎず、本当のところは、豊かになっているのかもしれません。

 聞いたところによると、ある国の人たちは、わたしたちとは逆に記憶を形にして残しておこうとするそうです。わたしたちからすれば、記憶という尊いものを、ただ一人の体のうちや、物の中に固定して閉じ込めてしまうことのほうが悲しいことです。そうして閉じ込めてしまえば、わたしたちはその記憶を広く共有できなくなってしまうのではないでしょうか。わたしたちから抜け落ちた記憶、さきほどお見せしたまるい雫は、小さいけれども確かな重みを持っていて、浮かぶことなく地面に落ち、高いところから低いところへと流れ、最終的には海に辿りつきます。海は常に、もっとも低いところにいて、上から下へとやってくるものたちを等しく受け入れてくれます。海には、すべての人々から抜け落ちた記憶が混ざりあっています。人々の記憶からは、あらたな命が生まれてきます。そして命はまた記憶を海に返す。わたしたちは延々とこれを繰り返します。そうすることによってわたしたちは大切な記憶、多くの人にとって忘れがたい大きな出来事から、他の人から見ればささいでどうでもいいような小さな思い出まで、隔てることなく、捨ててしまうこともなく、わたしのうちに閉ざして枯らしてしまうことなく、いつまでもみずみずしいまますべての人の中に生かしておくことができます。それにそもそも、わたしたちがこうして自分の記憶として大事にしている思い出も、もしかしたら何千年も昔の誰かの雫なのかもしれない。何千年も前の人の記憶も、つい何日か前の記憶も入り混じって時間も距離もなくして同列にある。そう思うとわたしたちは、自分という存在がただ一人のものではなく、すべての人によって成り立っているのだと思えます。わたしたちだけではとてもか弱く心細い生き物ですが、海と繋がることでわたしたちは歴史の一部分となり、わたしたちという小さな点が広大な存在となることができます。自分とは自分の外側に無限に広がっているのだと、何も怖がる必要などないのだと思うと、わたしたちは記憶をなくしながら、安心して天にのぼっていくことができるのです。

氷の国について

 氷の国はここよりはるか北の端にある魔女に支配された国です。

 国といっても実際のところはせいぜい小さな街といった広さで、雪山の谷のほんのわずかな平地にこじんまりと位置しています。千年も昔から休むことなく雪が降り続け、一年を通してほとんど景色が変化しないため、わたしたちの国は外の国の人々から「不変の街」と呼ばれているそうです。家々は雪で押しつぶされないように細長い三角の形をしていて、それが平地に螺旋を描くように、一軒一軒同じ間隔で並んでいます。そして中心には、国のすみずみまで見渡せるほど高い一本の塔が建っており、その塔の一番上に魔女が住んでいるのです。

 わたしたちは十三歳の誕生日を迎えると、それまで着ていた分厚い毛皮を脱ぎ捨て、成人の儀として真夜中に一人で塔まで趣き、魔女に自分の心臓を授けに行きます。重い鉄の扉を押し開け、大理石でできた螺旋階段を一番上までのぼっていっていくと、ひとつだけ大きな部屋があって、その部屋のなかに魔女がいます。魔女は誰がいつ成人するか正確に把握しているので、すでに準備をして訪問を待っています。魔女は入ってきた若者の胸に両手を突っ込み、心臓を生きたまま掴んで抜き取るのです。あなたは生きた心臓をご覧になったことはありますか? わたしたちのそれは炎の形で、赤く燃えたぎっていて、持ち主の鼓動のリズムに合わせてずっと揺れています。それから魔女は抜き取った心臓を棚に収めます。部屋の壁には床から天井まで隙間なく棚が並んでいて、すべての段にこの国の大人の心臓がずらりと保管されており、それぞれに違った速度、強弱で各々の命を揺らしているのです。

 こうして一度心臓を魔女に託してしまうと、死ぬときまで自分の元へ返ってくることはありません。一生魔女に占有されます。わたしたちはよく子供たちに「悪いことをすると大人になったとき魔女に心臓を喰われてしまうよ」と言って脅しますが、その言い伝えはもとはこのしきたりからきているのでしょう。

 心臓を失ったわたしたちの体は徐々に霜がついていき、やがて体の先から凍ってゆきます。ですが凍ってもわたしたちは寒さを苦痛に感じることはありません。心臓を預けるということはつまり、心を失くすということです。わたしたちにはもはや感情が残されていないので、どんな寒さも苦痛ではなくなります。それに心臓の炎がなければわたしたち自身が熱を持たなくなりますから、当然寒さも感じなくなります。寒さとはあたたかいものがあってはじめて知覚されるのです。

 氷の肉体を持つわたしたちは年をとるということがありません。いつまでも十三歳の、白く、きれいな体のままであり続けるのです。そうしてわたしたちは変わらぬ体で生き続けたのち、あるとき突然、眠りから覚めなくなります。それは本当に唐突に訪れるので誰にも予測がつきません。眠り続けているとそのうち魔女が街に降りてくるのですが、そうなるともう助かる見込みはありません。死期が近づくと心臓の炎が弱くなるので、魔女は人の死を察知することができるのです。魔女は瀕死の心臓を抱えて、その持ち主の家を訪れてノックをし、部屋に入って、ベッドに横たわっている持ち主の胸に心臓を戻します。その瞬間、心臓はもう一度激しく燃えあがり、その人の胸もぐっと盛りあがります。この最期のたった数分のあいだに、その人は心を取り戻し、一生でもっとも美しく幸福だった感情の記憶を味わいます。感情が味わい尽くされると、やがて心臓の炎が弱くなり、小さくなって消え、肉体は芯まで凍って、二度と目を覚まさなくなるのです。

 氷の国は魔女に支配されている国だと紹介しましたから、あなたは「なんて前近代的な国なんだろう」と思われたかもしれませんね。だとしたら、それは誤解です。わたしたちの国はこのように心臓を魔女に託すことによって高度な発展をとげてきました。高度な発展というのは外見だけの、見かけだましのことではありません。真なる発展とは、高い建造物だとか、大きな工場だとか、強大な軍事力だとかいった表層的なものではなく、内なる精神をろ過して、不純なもののない、透き通ったものにすることを指すのです。たとえば、わかりやすい例で申しますと、わたしたちの国では犯罪は起こりません。誰かの上に立ちたい、他人よりも優れていたいと愚かな思いを抱くこともなく、誰かを妬ましく思うこともないから人を攻撃することがありません。自分は少しでも楽をして他人に負担を押し付けたい、苦しみから逃れたい、と怠惰になることもありませんから、階級差もなく、食べ物も生活必需品もみんなで平等に分け合っています。わたしたちは怒りや憎しみに身をまかせることもなく、無意味に傷つけあったり、余計なことで悲しんだりすることもありません。この世にはあまりにもささいなことで心を乱されることが多すぎます。そんななかわたしたちは生涯にわたって自分の感情というものを持たないですむのです。あらゆる争い、世界中で生じたどんな大きな争いも、はじめは小さな不安や不信がきっかけに起こります。人々は、そういった弱さから悪につけこまれるのです。感情がなければ、弱さにつけこまれることもない。間違った指導者に扇情されることもない。わたしたちの国には、悪の入り込む一ミリの隙間もありません。心を攪拌され、濁ったものにされずにすむこのシステムを、わたしたちは千年以上も前から維持してきたのです。

 かつてはこの国でも感情は個人が所有していたといいます。しかし感情とはケガレです。生まれたときには誰もが透き通って美しいのに、空気が食べ物を徐々に腐らせるように、感情というものは見えないうちにわたしたち存在を取り返しがつかないほど汚していき、いつのまにか自分たちではコントロールできないほど大きな渦を生み出します。わたしたちはそのような煩わしい感情の作用のすべてを魔女に任せているのです。魔女は毎晩、塔のなかで一人、燃えたぎるわたしたちの心臓に身を焼かれます。そうやって魔女はわたしたちが感じているはずの感情を代わりに消化してくれるのです。燃えたぎる心臓は魔女の体を包み、彼女の精神を焼き尽くそうとします。魔女は自分の魂が焼き尽くされないように抵抗しもがき苦しみます。生きながら身を焼かれる苦痛から激しい悲鳴をあげます。ときに自分の体を塔の内側の壁に打ちつける音も聞こえます。魔女がそのように犠牲になって余計な感情を燃焼させて取り除いておいてくれるから、わたしたちは死ぬ際に最高に純度の高い、幸福の結晶だけを感じることができます。

 つまるところ、魔女とは人々の感情の濁りを浄化するための装置なのです。そうはいっても魔女も生身の人間ですから、炎に焼き尽くされれば燃えかすになってしまいます。消えて終わりです。悲鳴が聞こえなくなったときが魔女の消滅の合図です。そうなると新しい魔女に交換しなければなりません。新たな魔女は大人たちのなかから、客観的かつ公正な選挙によって速やかに選ばれます。人々には感情がありませんから、魔女と決められた人は素直に塔にのぼっていきます。そしてまた同じように今度はその人が人々の心臓を引き受け、新たな魔女となります。魔女の仕事は過酷なものなので、ときおり逃げようとするものもあらわれます。だからわたしたちは魔女がこっそり逃げ出すことがないようにいつも見張っています。それゆえわたしたちの家は螺旋状に連なって塔を囲んでいるのです。

 静謐に満ちたこの氷の国では、毎日魔女が熱さにもがき苦しむ声だけがその都度響きを変えて鳴り渡っています。ときにそれは山からの吹雪の音と混ざりあい、不思議な和音を生むこともあります。わたしたちは魔女の苦しみの声を聞きながら、いつも変わらず食事をし、編み物をし、穏やかな眠りにつきます。もちろん今の魔女が消えればわたしが次の日から魔女となって全員分の苦痛を背負わなければならなくなる可能性もあります。だとしても、わたしが感情を感じるのはまだ先のこと。今はただ自分の家の窓から、塔のなかで燃えさかる炎のあかりを眺めていればよいのです。

 ええ、そうでしょうか? わたしたちは残酷でしょうか? 魔女が苦しむ声を聞きながら暮らすのが? 僭越ながら、最後に自分の意見を言わせていただくとすれば、食事中は聞きたくないからといってわざと音を閉ざしたり、今はそういう気分ではないからといって聞こえないふりをすることの方が、魔女にとってはこの上ない侮辱なのではないでしょうか? わたしたちはわたしたち皆で魔女を苦しめているという自覚をもっており、魔女の悲鳴を絶えず聞いてあげることでわたしたちなりの責任を果たしているのです。わたしたちは魔女の存在を常に意識し、その苦しみに敬意を払っています。ただし心で理解するということはできませんが。しかし、魔女とはいつの時代でも、どの場所でもそういうものだったのではないでしょうか? 誰にも共感されることなく、果てしなく続く孤独のなか、時代のすべての痛みを一身に引き受けるからこそ、魔女は変わることなく魔女と呼ばれているのでしょう。

鏡の国について

 わたくしはたくさんの子供たちを育てるために、この国をつくりました。その子供たちは、わたくし自身が、お腹を痛めて産んだのではありません。血の繋がりこそありませんが、わたくしは子供たち全員を平等に愛しております。わたくしたちは家族なのです。子供たちにはわたくしのことが見えないし、声も聞こえないし、直接触ることもできませんが、わたくしはこの国全体を覆う深い霧の上から、いつでも彼らを見守っています。彼らのほうでも、ときおりわたくしの存在をふと感じて、わたくしに向かって祈ったり、話しかけたりしてくれます。

 わたくしが連れてくるのは、住む家がなかったり、食べるものがなかったり、大切な人間に拒否され、望まれず、愛されずに捨てられてしまった子供たちです。他の国から、そういう子供たちをこっそり連れてくるのです。わたくしが彼らを連れていってしまっても、幸い、気に留める人はおりません。気づいたとしても、厄介払いができたと喜んだり、ただの神隠しだと思って、深追いすることはないでしょう。それほどまでに、彼らはいてもいなくても、どちらでも構わないような存在として、粗末に扱われていますから。

 彼らをこの国に移すときには、ワクチンを注射してやります。と言いますのは、彼らはそれまで恵まれない人生を送ってきたために、放っておくと過去の辛いことを思い出し、何かを壊そうとしたり、自暴自棄になってしまうことがあります。そこでワクチンが必要になるのですが、このワクチンには「意味」が含まれているので、打ったとたんに、子供たちはしゅんとして、大人しくなります。意味のワクチンを打たれると、子供たちは、あらゆるものに意味を見出さずにはいられなくなります。自分の人生の意味について考えだし、自分の不幸だった境遇にも、何かしらの意味があるはずだと思うようになります。もちろん、意味などというものは、幻想に過ぎません。そんなものはあるはずはないのです。意味を打つということは、酷なように見えるかもしれませんが、とても、とても重要なことなのです。あなたにうかがいますが、のけものにされ、乱暴に扱われ、虐げられ、忘れられてきた子供たちと、お話しされたことはありますか? 「かわいそうな子供たち」は、残念なことに、必ずしも可愛げのある、弱々しい存在であるとは限らない、むしろ、大抵において、憎たらしい、不愉快な存在なのです。取り返しのつかないほど深い傷、取り除くできないほど強い不安を、身のうちに抱え込んでいる子供たちは、爆弾と同じ、危険物です。他人を見れば、すぐに不信感を覚え、話しかけてもろくに答えず、裏切られると思うと噛みつき、ささいなことで癇癪を起こし、大切な人を傷つけ、そしてまた自分を傷つけます。不安とは毒なのです。不安を持ったものは、他人の中の不安を逆立て、不快感を生み出し、忌み嫌われ、負の連鎖を引き起こします。だからこそ、人は、不安を抱えた子供を捨てるのです。普通の人は、愛らしい子供しか欲しがりません。けれども、たとえどんな理由であっても、捨ててもよい命などないのです。生命は生命です。しかし、毒をもった存在は、野放しにしては生きていけません。わたくしは、ありもしない意味を与えることによって、逆説的ではありますが、彼らの安全を守るのです。

 ワクチンの接種を終えると、わたくしは、彼らを空いている個室に入れてあげます。どの部屋も同じ正6角形をしており、蜂の巣のように、縦横びっしりと無駄なく並んでいます。上から見ると、とても美しいものです。個室にはそれぞれ、机と椅子とベットを一つずつと、十分な食料を入れてあります。これらの家具も食料も、わたくしが他の国から持ってきたものです。盗んだのではございませんよ。廃棄物として処分される一歩手前のものを、救済してきたのです。廃棄物とはいえ、まったく問題なく使えます。今では資源など、自分たちの手で新たに作り出したりしなくとも、探せば掃いて捨てるほど余っているのですから、それらを集めてくれば、飢えた子供たち全員を十分まかなえるのです。それから、そう、絶対に入れ忘れてはならないのは、回し車です。一人一台、部屋の中に、必ず回し車を与えてやります。食べるものと、安全に暮らせるところは、もちろん必要不可欠なのですが、子供たちが自立できるように、労働も与えてあげなくてはなりませんからね。部屋に入れられた子供たちは、何に対しても意味を見出さずにはいられないため、誰に言われるでもなく、回し車にのって走り始めます。子供たちは、実にまじめに回し車を走りますよ。自分の体を動かして、汗を流すことは、素晴らしいことですね。自分は働いているのだという自負は、人間の心を健全にします。走ってさえいれば、日々の無為を埋めることができ、自分には価値があるというような、つかの間の自己肯定感が得られるのでしょう。

 彼らの正6角形の部屋は、全ての面が鏡でできています。ですから、この中に入れられると、反射し合った鏡の中に延々と自分の姿が続いているように見える仕組みとなっております。どこまでいっても、自分、自分、自分の世界です。当然、隣の部屋は見えません。子供たちは分断され、疎外されています。そうすると、不思議なことに、子供たちには自分の姿しか見えていないはずなのに、たえず自分が誰かに見張られているような感覚に陥るのです。その上、いつでも誰かが回し車で走っているので、カタカタという音が、ずっと周囲から聞こえてきます。他の人が走っているのに、自分だけ休んでいることに対して、罪の意識を抱き、じっとしていることに耐えられず、休息もそこそこに、また彼らは走り始めます。みんながやっているのだから自分もやらなくてはならない、と思うのです。そして、鏡に映った、汗を流して走る自分の姿を見て、子供たちは満足感を覚えます。

 壁に鏡を用いることには、さまざまな理由がありますが、その大きな目的の一つは、子供たちが外に出てしまうことを防ぐということです。二度と傷つけられたくないと切に願っている子供たちが、他人と触れ合うことで人を傷つけ、人に傷つけられることを防止するのです。鏡の世界というのは、不思議なものです。外の世界があるべきところに、内の世界が映っており、もはや向こう側はなく、世界がそこから閉じられてしまったかのように思えます。一歩外に踏み出せば、簡単に外側に触れることができるのに、鏡の内側にいると、外側があるという当然の認識すらなくすのです。彼らには、自分こそが全て。けれどもその自分が、鏡の中に無限に分裂しているので、どれが本当の自分の姿なのか自信が持てなくなっています。過剰な自己への意識は、自己存在への不安を増長させます。おまけに、この国では、子供たちの抱える強すぎる不安が、大気中に流れ出して、空にはいつでも濃い霧がかかっているので、昼と夜の区別もなく、時間の区切りがありません。時間と空間の感覚が麻痺してしまった彼らは、ただ、今この瞬間の虚無から逃れようとするばかりです。そうして、自分がここに存在していることを確認するために、自分が自分であることを表現するために、彼らは意味を求めて回し車を走ります。彼らはどれほど時間を費やしたか、知ることもないまま、成長し、歳をとり、老いてゆきます。走れなくなるほど老いても、彼らは、回し車にのるのをやめません。でも、大丈夫です。何歳になったとしても、この国にいるかぎり、わたくしの子供であることには変わりありません。

 あなたは不思議に思われるのですね。この回し車を走らせることに、いったい何の目的があるのか、と。目的など何もございません。この回し車は、走ることによって何かを作り出すことが目的なのではなく、走るという目的を作ることだけを目的としているのです。彼らの労働には、何の成果も伴いません。労働すること自体が重要なのです。ですから、意地悪な言い方をするならば、彼らは無のために一生走り続けているようなものなのですが、彼らは、自分たちが、この世に生まれてきた以上、何らかの役目を果たすべきであり、そのために自分は走っていると思い込んでいます。彼らはワクチンを打たれているがゆえに、すぐに意味を求める。たとえそれが嘘であっても、彼らは構わないのです。わたくしは、彼らのささやかな人生に、まるで意味があるかのように、錯覚させてあげています。彼らはあまりにも弱く、ありのまま空白を生きることに耐えることができません。どこに進むべきかわからないまま、自らの目の前に延々とつづく時間を、回し車を走るという行為で、わたくしは満たしてあげているのです。

 あくまで、わたくしのしていることは、まったき「愛の行い」なのですよ。わたくしは、忘れられ、嫌われ、かえりみられることのない子供たち、飢えて、住むところも、誰も頼る人もいない子供たち、そういう彼らのために、心から奉仕し、無償で仕えているのです。わたくしは、彼らを助けることによって、見返りも、成果も求めておりません。とても、とても傷ついて、痛みを持った心に、何らかの意味を与えてあげること、それがわたくしの務めなのです。わたくしは、そんな子供たちに救いの手を差し伸べています。ですから、わたくしは、あなたにもお願いしたいのです。どうか、打ち捨てられた子供たちに、やさしい手を差し伸べてください。そして、その子をわたくしのところに連れてきてください。わたくしが、その子を育て、愛し、死ぬまでお世話をいたしますから。

水車の国について

 笑い男については古くから言い伝えがあって、僕たちも小さな頃から大人たちによって聞かされていました。何年かに一度村に笑い男がやってくる、笑い男は人ではないから絶対に口をきいてはならない、笑い男と喋った子供は連れ去られてしまう、と。けれど大人たちは僕たちにそう注意するわりに、笑い男というものが一体どういうものなのかについては多くを語ろうとせず、ただひたすら笑い男と喋ってはいけないと釘を刺すだけでした。だから結局そんな注意をしたって、子供たちは好奇心を抱くことはあっても本気で警戒することはなくなってしまっているような気がします。僕自身も笑い男というものについては何一つわかっていないのですが、僕が経験し知り得た限りのことをあなたにお話しておこうと思います。

 僕たちは小さな名もない国の水車のある村に暮らしています。村での生活は質素で、単調で、かつ過酷です。来る日も来る日も朝早くから暗くなるまで粉を曳き、穀物置場へと上り下りし、薪を割り、冬は雪かきをし、穀物にかじりつこうと隙を狙うねずみたちを追い払う。美しくのどかな村に見えますが、内実は重労働ばかりで僕たちの体は腰も肩も腕や足もいつも痛んでいるのです。村には子供と大人の区別なんかなく、僕も物心ついたときにはすでに労働者の仲間入りをしていました。

 ある日、いつも通り粉置き場につもった粉を掃いていた僕は、粉にむせて咳がとまらなくなってしまったので窓を開けて休んでいました。その時ふと、街の方から見覚えのない人影が村に向かってやってくるのが見えました。白と黒の奇妙な帽子をかぶり、顔を白く塗り、真っ赤な口紅で大きく笑った口を囲い、男なのか女なのかわからない奇妙な人物。僕は笑い男の外見について何も教えられていなかったにも関わらず、その人物を見ると瞬時に「笑い男だ」と確信しました。僕は急いで大人たちを呼びに行こうとしたのですが、頭ではそのつもりでいたのにどうしても足が動きません。なぜか急に、笑い男のことは大人たちに教えない方がいいように思えてきたのです。しばらくすると笑い男は消えたようにいなくなっていました。その日の夜、友人たちと集まったときに、笑い男を見たということを恐る恐る告げると、同じ体験をしたのは僕ばかりではなく、友人たちもみんな一人でいたときに笑い男を見たのにも関わらず、大人のところに行こうとすると急にその気が失せてしまった、とのことでした。結局、僕たちは笑い男のことは子供たちだけの秘密にしておこうということに決めました。こうして笑い男はだんだんと僕たちに近づいて来るようになったのです。ドアを閉めていたはずなのに粉置き場にいるときにすぐ後ろに立っていたり、水車小屋の裏で遊んでいるときにじっとこちらを見ていたり。笑い男はきまって子供が一人でいるか子供たちだけでいるときにしか姿をみせません。もしかしたら子供しか姿を見ることができないのかもしれません。

 笑い男はこれといって悪いことをするわけではないんです。ただ僕たちの近くにこっそりとやってきて、驚いて声をあげようとする僕たちを制し、いきなり手品を披露するのです。おどけたように両手を開いて何のタネもしかけもないことをみせてから、何もなかったはずの手のひらから風船を取り出して僕たちに渡す。そして同じく何もなかったはずの空中から紡ぐように奇妙な形の笛を取り出して奇妙な旋律を吹く。すると風船は笛の音に合わせて形を変えながら踊り出す。風船は曲が終わるまで踊り続け、笑い男が笛を吹くのをやめると同時にはじけて、その中から、色も形もさまざまな一口大の「物語」の粒が現れる。僕たちが驚いていると笑い男は笑顔を浮かべたまま、どうぞどうぞと言うように物語を僕たちに手渡して、口に入れるよう促してきました。笑い男はすべてを大げさな身振り手振りで表現するだけで声を発するということがありません。どうやら笑い男は口がきけないようでした。だから僕たちは油断してしまうのかもしれない。口をききさえしなければ大丈夫だ、と。そしてまた手品見たさと、何より物語食べたさに、僕たちはいつしか恐怖を忘れて笑い男に会うことを心待ちにするようになっていました。

 村での暮らしは貧しくて食事も簡素なものばかりだったから、いつもお腹を空かせていた僕たちにとって、笑い男からもらった物語を食べるのはとても豪華で贅沢なひとときに感じられました。鮮やかな包装紙に包まれた物語を口にほおって、その不思議な味わいを一滴も漏らさないように感じ尽くし、溶けてしまうのが惜しいと思いながらなるべく溶かさないようにそっと舌で転がして、残った包装紙は丁寧に広げてまっすぐに伸ばし、大人たちにばれないように自分の寝室に隠してためておく。毎日毎日終わりの見えない単調な仕事の中で、今日は笑い男からどんな物語をもらえるだろうということだけが僕たちのささやかな楽しみになっていたのです。

 けれどもそうやって物語を食べているうちに、それまで感じたことのない薄暗い感情が僕たちの中にかすかに芽生えてきました。それは笑い男の出現と同じくらい突然に、だがしかし、時間とともにくっきりと存在をあらわにしていきました。いつもの食事は味がなくて物足りないように感じ、そのうち口に入れるのもうんざりしてきて、気づけば食事の代わりに物語ばかりを食べていました。でもそれだけでは腹がもちません。僕たちは物語をもらうために自ら笑い男に近づいていくようになりました。おまけに、僕たちは徐々に仕事もする気が起こらなくなってきました。それまでは村の仕事は大変ではあるけれど当然やるべきこととして受け入れていたのに、次第にさまざまな疑問が浮かび上がり、なぜ毎日こんなに働かなくてはならないのか、こんなに毎日粉を挽いたところでいったい何の意味があるというのか、自分はこの閉鎖的な村で一生を終えてしまうのだろうか、などと考え、この村で生きること自体がばかばかしく感じられてきて、いっそこの村を出て外の世界を生きてみたいと思うようになってきたのです。そうした気持ちから子供たちは少しずつ大人たちに反発するようになり、仕事をさぼって大人たちに殴られては、より一層、この村に縛りつけられている自分たちの運命に対して怒りを燃やすのでした。

 笑い男がやってきてから65日が経ったとき、ある事件が起こりました。子供の一人が親からひどい折檻を受けて肋骨を折られたのです。このことによって子供たち全員の大人たちへの怒りは頂点に達し、何としてもこの村を出て行く、明日にでも子供たち全員連れ立って出ていってやると心に決め、笑い男に手伝ってもらって大人たちを手品で騙してこっそり出て行こうという作戦を立てました。そのことをお願いするために僕たちははじめて笑い男に喋りかけました。笑い男は返事をするかわりにいつも通り笑っているだけでした。

 次の朝はやく目を覚ますと、村が恐ろしいほどに静まりかえっていることに気づきました。どうやら村中の水車が止まっているようなのです。真冬でもないのに水車が止まるなんてことはありえません。不思議に思って足音を忍ばせて寝室を出てみると、床に血だらけのちぎれた手足が点々と落ちていました。廊下を進んでゆくと、食堂のテーブルの上に頭部がありました。両親でした。僕は悲鳴をあげました。と同時に隣の家からも悲鳴が聞こえました。隣の隣の家からも、その隣の家からも、向かいの家からも、村中の子供たちが叫んでいるのが聞こえました。どこの家の大人たちも、子供のいない大人たちも、村中の大人全員が血だらけの肉のかたまりとなり、まるで膨らみすぎて内側から思い切りはじけてしまったみたいに内臓ごとあたりに散らばっていたのです。僕たちは作戦のことなどすっかり忘れて、お母さんお父さん、と口々に泣きわめき、動くことのない自分の保護者のあわれな残骸にすがりつこうとして、でもばらばらになった体のどの部位にすがりつけばいいのかわからなくて躊躇していました。が、その瞬間、自分の足が意思に反して勝手に歩き出し家の外に出て広場に向かってしまいました。もちろん広場の真ん中には笑い男がいて、あの奇妙な笛を吹いていました。

 そうして笛を吹く笑い男を先頭に、僕たち130人の子供たちは泣きながら列をなし、村を出て山をぞろぞろと歩きました。止まりたいと思っても、帰りたいと思っても、僕たちは自分の体を思う通りに動かすことができません。僕たちは歩きながら、あんなに憎んでいたはずの大人たちが死んでしまったことに対して、うまく現実を受け入れられず、希望通り村を出られたはずなのに喜べず、どうしてこんなことになってしまったのか、何がいけなかったのか、別に僕たちは殺すつもりはなかったのに、こっそり村を出るだけでよかったのに、笑い男が勝手なことをしてしまったのだ、だから大人たちを死なせてしまったのは僕たちのせいではない、僕たちは悪くないんだ、と思い込もうとしました。そもそも笑い男が物語なんかを僕たちに無理やり食べさせたのがいけなかったのではないか、物語のせいで僕たちは村を出たくなったのだ、それもこれも全部笑い男のせいだ、それまで僕たちはごく平和に暮らしていたのに笑い男がやってきたせいで何もかもおかしくなってしまったのだ、と思うことにし、こいつさえいなければ僕たちは元に戻れるはずだと、ひょこひょこと軽い足取りで先頭をとる笑い男の背中にこの上ない憎悪を抱くのでした。

 一日中休むことなく歩き続け、夜になって山の中のひらけた一帯にたどりつくと、やっと、笑い男は笛を吹くのをやめました。僕たちは疲れて座りこみ、小さな子供の中にはすすり泣いているものもいました。笑い男は僕たちをほおって木に登って枝の上でいびきをかいて寝始めましたが、その寝方はあまりにも無防備で隙だらけで、まるで「どうぞ襲ってください」と言わんばかりでした。僕たち年長の子供たちは、鼻ちょうちんを出してぐっすり眠っている笑い男に一斉に襲いかかり、縄で片足をぐるぐる巻きにして、木に結んで笑い男を逆さに吊るし上げました。僕たちは幼いものから年長のものまで揃って悲しみと怒りの叫びをあげながら、丸腰の笑い男に片っ端から石を投げつけ、枝で殴りつけ、汚い罵倒の言葉を吐きつけました。でもどんなに強く殴っても罵っても、笑い男の顔はいつも通り笑ったままで、そうすると僕たちはますます笑い男が憎たらしくなってきてさらに激しく暴力をふるいました。相手を痛めつけてやりたいということだけを考え、どうやったら一番痛いだろうかと思案し、石が笑い男の顔のど真ん中にあたるとみんな歓声をあげる。今考えれば、なんとおそろしいことをしていたのだろうと思うのですが、そのときの僕たちは、大人たちを殺した笑い男を処刑することが絶対的な正義であり、自分たちは神に変わって正しい行いをしているのだという快感のようなものに取り憑かれてしまっていたようなのです。そのときの僕たちは僕たちではなくなってしまったみたいでした。

 笑い男がまったく反抗しないことをいいことに僕たちは一晩中笑い男を吊るし上げました。泣いていた僕たちはいつのまにか笑いながら笑い男に暴力をふるい、笑っていた笑い男はいつのまにか笑うのをやめていました。そして誰かが「何か聞こえてくる」と言い、ふとみんなが動くのをやめると、笑い男がかすかに嗚咽をもらしていました。僕たちが笑い男の声を聞いたのはそれが最初で最後でした。僕たちの熱は急に冷め、呆然とその姿を眺めているうちに、笑い男の体はしぼんでいって、どんどん小さくなり、しまいに手のひらの大きさくらいまでになると、まったく動かなくなりました。それは空気の抜けた風船になっていたのでした。

 僕たちは自分たちが笑い男を殺してしまったのか、殺してはいないのか、僕たちが殺したものはいったいなんだったのか何もわからないまま、互いに口をきくこともなく黙って山を降りていきました。そして家に戻ると死んだはずの大人たちが生きていて、「仕事をさぼったな」と言って僕たちをしこたま叱りました。僕たちは驚いて何も言えないまま、自分の心の内になんともいえない不快感が渦巻くのを感じました。仕事をしながらも、夜ベッドに横になりながらも、僕たちは勘違いしていたのではないか、僕たちは間違いを犯してしまったのではないかという果てしない問いに苛まれました。僕たちはどこから間違えてしまったのか、笑い男は大人たちを殺してはいなかったではないか、ではあの血だらけの死体はなんだったのか、幻覚だったのか、ならば笑い男の死体も幻覚だったのかもしれない、そもそも笑い男という存在自体が幻だったのかもしれない、そうなると僕たちは何も殺してはいないのかもしれない、僕たちは何も悪くなかったのかもしれない、そうだ僕たちは悪くなかったのだ、と自分に言い聞かせれば聞かせるほど、僕たちの耳の内側には笑い男の嗚咽がへばりつき、脳裏には夜の闇にくっきりと見える宙吊りになった笑い男の白い顔が浮かび、僕たちの体じゅうに笑い男を暴行したときの快感が生々しく再生されてくるのでした。

 それから僕たちはもう二度と色とりどりの物語のことも考えることなく、村を出たいと思うこともなく、大人たちに素直にしたがって村の仕事に精を出すようになりました。それは別にこの村の暮らしに意義を見出したからではなく、単純に笑い男のことを思い出したくなかったからです。少なくとも働いている間は余計なことを考えずにすむし、疲れていればすぐに寝ることができる。そうして誰も二度と村の外に出ないまま、あっというまに僕たちはこうして大人になってしまいました。

 僕のお話した笑い男のこの話は、僕個人の話であると同時にこの村自体の話でもあります。村の人々はずっと単調な暮らしをしていて、ときどき笑い男がやってくる。笑い男が来てから65日目には決まって子供が折檻される事件が起こり、次の朝には決まって130人の子供たちが笑い男に連れ去られる。どうやら昔から何度も決まって同じことを繰り返しているらしいのですが、笑い男がいったいなんのためにこの村にやってくるのか、どこからやってくるのか、僕たちに何をもたらそうとしているのか、笑い男とは何だったのか、いまだにわかりません。人々は笑い男のことを話したがらないので、僕が知り得た情報はこれしかありません。ふとしたことから笑い男の記憶は、僕らの心の虚ろな穴からひょっこり顔を覗かせて、自分たちに流れる野蛮な血の匂いを嗅がせてくるので、僕たちのあいだでは笑い男の話はタブーとなっているのです。僕たちは、かつて大人たちからそうされていたように、自分の子供たちには、笑い男と喋ってはいけないよ、と言うしかないのです。

砂の国について

 かつて砂の国では、言葉を発するということはすなわち血を流すことを意味しておりました。

 我々砂の国の者たちは言葉を発する際、自分の体の一部を切りつけ血を流すことによって自分の声を手に入れます。喋り続けるかぎり血は滴り続けます。血が滴っている間だけ我々は喋ることができるのです。むろん痛みはあります。しかし砂の民は痛みに強い種族です。それに私は普段は喋りません。今日私がこんなに饒舌になってたくさんの血を流しているのは、どうしても砂の国についてあなたにお話しておきかったからです。

 あなたの体も同じ作りかどうかは存じませんが、流した血は空気に触れるとそのうち固まります。我々はこの血と砂とを混ぜて粘土にすることで物を作るようになりました。なにしろ砂の国には僅かながらの動植物と水以外にはただ砂が広がっているだけなのです。砂ならいくらでもありました。我々は砂と血から日常生活に必要なあらゆる物を生み出してきました。壁や座敷、寝床や卓やかまど、皿や器といった日用品。それに加え、怒りのこもった濃厚な血を用いれば鋭利な刃物まで作ることができました。しかしそれらが永遠に在り続けることはありません。砂から作られた物はやがて乾ききって崩れ、生き物たちと同じように自然と砂に還ってゆくのです。およそ人の作り出すものはすべて言葉を発する際に流した血からできているのであり、言葉から生まれてきた物はつまるところ仮そめのものです。所詮言葉は言葉でしかない。ひと昔前まで我々は言葉の無力さを大いに理解しておりました。我々は必要な時にだけ言葉を発し、必要な物だけをその都度その都度作っていたのです。

 我々砂の民にとって砂とは絶対的なものでした。砂とは過去に生きていたものたちの亡骸の集合体であり、砂には先人たちが残そうとして奪われた言葉の亡霊が潜んでいるようでした。砂の国ではどこにいっても常に砂が皮膚に纏わりついてきます。どんなにしっかりと扉を締めきっていても衣服で身を隠していても、砂は僅かな隙間から我々を見つけ出してしつこく追いかけてくるのです。時折誰かが高い建物を立てれば見せしめのように巨大な砂嵐がやってきて跡形もなく壊してしまいます。死者たちの圧倒的な存在感。我々砂の民は彼らに畏怖の念を抱くばかりで、逆らうことなど許されてきませんでした。我々は代々ただ砂に頭を垂れ、なんとか短い命を無事に生き抜けることだけを許されてきたのです。

 その一方で我々の心の内には、砂に抗いたいという気持ちも昔から密かに引き継がれていたのだと思います。強い日差しが照りつける厳しい環境下、言葉を発する度に血を流さなくてはならず、短命であることを宿命づけられている我々の人生はあまりにも不条理ではないか、と。我々のその思いは着々と蓄積されてゆきました。かつてはおそらく固く禁じられていたであろう試み——血を流すことなく言葉を発し、砂を自在に扱うことができるようにならないものかという無謀な企み——が、はじめは後ろ指を指されながら秘密裏に行われていたのが、いつしか公然と組織的に行われるようになり、いつしか我々皆の希望となり、いつしかその研究を行うことがこの国の最大の事業となりました。血を流す必要のない国を誰しもが夢見るようになったのです。研究中、試行錯誤して多くの言葉を交わしたがために血を流しすぎて砂に還ってしまうものも少なくはありませんでしたが、そういった長年にわたる犠牲の上に、半世紀前ついに血を止める薬が発明されました。

 薬を摂取することによって、我々は血を流すことなく言葉を発し、痛みを伴うことなく喋ることができるようになりました。そして代わりに人工の血が作られ、我々は自分の血を使わなくとも物を作ることができるようになりました。年長者の中には、薬や人工の血など神への冒涜だと警鐘を鳴らす者もいましたが、彼らの声は国民大勢の熱狂にかき消されてしまいました。誰しもが競って薬を手に入れようとしました。誰しもが言葉を好きなだけ発することのできることを素直に喜び、好きなだけ物を作ることのできる自由を謳歌しました。質素で飾り気のなかった我々の国の建物には派手な装飾が施されるようになり、我々は建物を密閉し、砂が入り込まない生活を送ることができるようになりました。物は物でしかなくなったのです。

 しかし喜びも束の間、それから四半世紀が過ぎた頃、まだ若くどう見ても死期に達していないような人々が突然干からびて枯れ死んでゆくという現象が相次ぐようになりました。変死した者たちは薬を過剰服用した人々ばかりでした。国民は不安に陥りましたが、国は関係性なしと判断し、相変わらず薬を支給し続け国民も服用し続けました。国も国民たちも心のどこかでは危ないと勘づきながらも、もう後には引けなくなってしまっていたのでしょう。ますます多くの人々が同じようにひび割れて死んでゆくようになりましたが、あまりにも頻繁に起き日常茶飯事の光景となったため、国民は死というものに慣れてしまい、やがてほとんど誰も気に留めなくなりました。そして今から数年前、ある医者がある事実を——変死した者たちの死体を解剖して調べたところ、薬を用いることによって排出されなくなった血が一定量たまると、体内で固まって砂となり、その人の水分を内側から奪いとってしまうという検査結果を暴露したのですが、医者の声に応える者など数えるほどしかおりませんでした。血を流しながら声高に訴え、薬の危険性を公にしなかった国を糾弾する医者に対して、同じようにわざわざ血を流して憤るほどの気力を持つ者はもはやいなかったのです。それに、もしかしたら皆そんなことはとうの昔から薄々わかっていたのかもしれません。

 我々の国はもう長くはもたないでしょう。死者の増加と人工の血のせいで砂の量は以前よりはるかに増え、地層が急激に上がったせいで砂を掘っても容易には水を得られなくなりました。我々は昼間は灼熱の下で喉を枯らし、夜は寒さに凍えながら、突然自分の身に死が訪れるのをじっと待っています。実際のところ、薬を使ったことのない者などほぼ存在しないに等しいのです。昔、反対していた年長者たちはもうすでに老衰のために砂に還ってしまいました。やっと国によって使用が禁じられるようになったかつての薬は、現在は禁止薬物として裏で流通しており、どうせ死ぬのであればと多くの人々が相変わらず服用を続けています。彼らは自由に言葉を発することのできる生活に慣れてしまったのです。

 私もかつて若い頃は仲間たちと共に薬物を用いておりました。死に対して無謀であることが砂に逆らう唯一の手立てだと考えていたのです。きっと仲間たちも同じように考えていたのでしょう。でも結局、彼らの生はあっという間に枯れつき、砂となって死者たちの中に飲み込まれてしまいました。彼らの残した言葉など、あまりにも軽くて何一つ記憶に残りませんでした。

 私が今日このように、自分の血のほとんど全てを流すのと引き換えにあなたに話したのは、これだけが砂に抗うことのできる唯一の方法だということがやっとわかったからです。本来、言葉を発するとは血を流す覚悟のいるものであり、痛みと引き換えにあるべきものなのです。言葉は凶器にだってなり得るのであり、自らも死ぬ覚悟がなければ、それを用いてはならなかったのです。そして、その覚悟をもって語られた言葉だけが、確実に他者の記憶に刻まれるのです。私がこうして血を流して砂の国について語った言葉は、あなたの中に留まり続け、あなたの中で息をし続けるでしょう。私の言葉は生きて脈打っているのであり、それが誰かの中で生きている限り、我々砂の民は存在し続けるのです。

 だいぶ喉が渇いてきました。いえ、水を飲んだとしても無駄なのです。きっと私は、あなたがこれから進んでいき、全ての話を聞き終わる前に、内側から砂に飲み尽くされてしまいます。あなたに差し上げた言葉の他に我々には何もありません。私の座っているこの場所には、ただ砂が残るばかりでしょう。

樹の国について

 わたしたちは森の奥に暮らしています。雨をしのいだり、寝起きするための簡素な小屋は作りますが、壁で遮断することはありません。あくまで小屋は森の一部なのです。虫やヤモリは当然のように小屋の中に入っては出ていって、わたしたちが寝転がっていると、鳥や精霊たちの鳴き声、木々の軋む音、雨が葉にあたる音が、蚊帳を通り抜けていきます。わたしたちはやってくるものも出ていくものも、拒むことはしません。ゆっくりと流れる森の時間に溶け込んで生活しているのです。

 森は深く巨大で、日が落ちると真っ暗で、ときどき闇夜に出歩いたりすると、果てしなく並んだ背の高い木々が倒れてきてわたしを飲み込んでしまう気がするほど、圧倒的な存在感を持っています。ですが、森はわたしたちが謙虚でいる限り、むやみに傷つけてくることはありません。森はわたしたちに必要な全てを与えてくれます。木の実も果物も澄んだ水も、小屋を建てるのに必要な木材も、森は恵んでくれます。わたしたちは必要な分だけを森から借りて生きています。

 森には数え切れないほどたくさんの木が生えていますが、よく見るとその一本一本が異なっていて、あなたが人や建物を区別するのと同じように、わたしたちは木々を見分けることができます。そしてその中には、自分だけの木があります。自分だけの木は別に誰かに決められているわけではありません。わたしたちは、自分だけの木があるのだという事実を教えられるだけで、あとは自分でその木を見つけます。言葉で説明するのはむずかしいのですが、非常に親密に感じる木、それが自分の木です。自分の木に寄りかかっていると、わたしは輪郭が消えて、自分が人間ではなくて木であるような、わたしにも根があり、土から栄養をもらって、空に向かって立ち、風に葉を揺らしているような、そんな気がしてきます。なんと言いますか、自分がその木自身であるような感覚に陥ったら、それは自分の木だと思ってよいでしょう。

 自分の木だからといって、所有したりだとか、独占したりだとか、そういうことをするわけではなく、その木は自分の木だと思うだけなのですが、自分の木にすっかりなじんで、寄りかかっていると、ある時、木から実をもらうことができます。ぽとりと、優しく肩を叩くように、実が落ちてくるのです。実の中には一つだけ種が入っていますが、その種はわたしたちの将来のパートナーとなるものの種です。パートナーは異性であるとも限らないし、まして、人であるとも限りません。わたしたちは自分で好きな種を選ぶということはありません。自分の木が、ちゃんとわたしたちにふさわしい種を与えてくれます。わたしたちは与えられた種を受け入れるだけです。

 わたしたちはその受け取った種を小屋に持ち帰って、土を入れた鉢に植えてやります。発芽するのにどれくらいの時間がかかるかは人それぞれです。一年や二年、はやければ一ヶ月前後で芽が出てくる人もいるそうですが、わたしの場合、芽が出たのは三年目の春でした。種のあいだは、土を湿らせることを忘れずにこまめに水をやり、日中は外に出して日差しを浴びさせ、夜になれば小屋の中に取り入れます。夏の間は日陰に置いてやり、冬の間は冷えないように布でくるんでやります。パートナーを育てるのは最初から最後までとても手がかかりますが、やはり、発芽するまでが一番大きな試練といってもよいでしょう。なんの変化もない鉢植えを見ているだけというのは、楽なことのようでなかなか辛いのです。いつまでたっても種のままで、育っているかどうかわからない。一見すると、死んでいるようにしか見えない。他の人たちのパートナーが続々と発芽していたりすると、どうして自分のだけまだなのだろう、と焦ってしまいがちです。じっとしていられなくなって、土を掘り返して種の様子を確かめてみたくなったり、逆に、面倒くさくなって完全に放置してしまったりします。ですが、わたしたちは根気強く、見守ってやらなくてはなりません。見るという行為はそれだけで力なのです。見るということは一番最初の、一番基本的な他者への働きかけなのです。

 やっと小さな芽が出てきたら、やりすぎないように注意して栄養をやります。パートナーごとにふさわしい栄養の種類は違ってくるので、いろいろ試して自分のパートナーの好む肥料を見つけてやります。そうやってわたしたちは少しずつ伸びてゆくパートナーを気長に育てていきます。体の弱いパートナーのなかには風邪を引いてしまうものもいるし、思春期もあれば反抗期もあります。どんなに大切にしていても、歯向かってこられたり、触ろうとして噛み付かれたりすると、世話をするのが無駄に思えて、自分が無力に思えてくることもあります。でも、どんなことがあっても見捨ててはなりません。どうしてもわたしたちは、自分が与えたら、それと同じだけのものを返してほしいと思ってしまいがちです。でも、森がわたしたちに何もかもを無償で与えてくれるのと同じように、わたしたちも見返りを求めずに、愛情を与え続けることが大切です。与え続けることによって、パートナーは、ぐらつくことのない頑丈な根をはることができます。

 そうして、わたしたちは数十年の時間をかけて、自分の木からもらったパートナーを育てます。パートナーが無事に育ち、成人のときを迎えると、パートナーはやっと鉢植えから出て、自分の足で歩くことができるようになります。ちゃんと手間をかけて育てられたものだけが、しっかりと自力で歩けるのです。パートナーが自分の足で歩き出した時、育てた側はすべてが報われます。わたしたちは何ももらわなくていい。パートナーがちゃんと歩いているということ自体が、この上ない幸福なのです。それからわたしたちは結ばれます。結ばれるといっても、とくに何かするわけではありません。わたしたちは互いの体に触れ合うこともしません。パートナーの体はもろく、さわればすぐに崩れてしまうから。愛の言葉を交わすこともありません。わたしたちには愛を確かめ合う文化がないのです。何もしないこと、それがわたしたちの愛のかたちです。何もしなくても自然と感じるもの。わたしたちにとって、愛というものを言い換えるとすれば、それは信頼するということです。信頼し合っていれば、そこに愛があることがわかります。だからわたしたちは常に一緒にいるわけでもなく、寝るのも別で、食事をするのも別です。別々に生活していても、本当に信頼している物のあいだには、特別な行為がなくとも、ちゃんと愛し、愛されているという安心感から、肌さみしさを感じることはありません。わたしたちの信頼は数十年の間の、育て、育てられるという関係性の中で着実に育まれているので、簡単には崩れないのです。

 春になると、小屋のどこかに赤ん坊が生えてきます。その場所は人によってみんな違います。お風呂だったり、囲炉裏だったり、縁側だったりします。わたしの場合は、本を開くとそこに小さな指人形のような赤ん坊が丸くうずくまっていました。小さな赤ん坊たちは、かすかに呼吸をし、上下にゆれています。わたしたちはパートナーとともに窓際に立って、その赤ん坊を息で吹き、空に飛ばします。ぜひ、また今度の夏にでも遊びにきてください。夏が終わる頃には、夕日の上にたくさんの赤ん坊たちが舞っているのが見えるでしょう。無数の赤ん坊、無数の姿かたちの違う赤ん坊、そのかたちはそれぞれの信頼のかたちなのです。この森に生まれた新たな信頼たちだけが、毎年空を飛ぶことができます。そして信頼たちは、やわらかに風に流され、着地したところに静かに根付いて、やがて芽を出します。

 わたしたちとパートナーとの関係は、それで終わりです。わたしたちのあいだには、ひとつしか子供はうまれません。わたしたちは残りの人生をかけて、パートナーが次第に枯れゆくのをながめます。もちろん、枯れゆくパートナーと同時にわたしたちも老いてゆきます。死んだら、それで終わり。死んだら、物体でしかない。死んだ肉体は森に埋めるだけで、お墓をつくることもない。わたしたちの命というのは、ただすぎてゆくだけのものです。他の国の方々からすれば、わたしたちの生は地味で、わたしたちの愛は淡白かもしれません。でもわたしたちには明確な目的があります。わたしたちにとって人生とは、信頼をつくり、それを次の時代へ飛ばすこと、それ以上でも以下でもないのです。

 わたしももう、赤ん坊をだいぶ前に飛ばし終わり、パートナーも枯れて死んでしまいました。たった一人、老いゆく命です。もしかしたら、また自分の木のところに行けば、新しい種をもらうことができるかもしれません。でも、わたしは、二つ目の種をもらおうとは思いません。実際、この森に暮らす人々のほとんどが、たとえ途中でパートナーを枯らしてしまっても、代わりの種をもらいに行こうとはしません。それはたぶん、二つ目のパートナーを育てたとしても、最初のパートナーとの相違点ばかりに目がいってしまうような気がするからだと思います。種のかたち、芽の大きさ、葉の枚数、そのすべてが、最初のパートナーとは違うという記憶を呼び起こし、これは本当のパートナーではないという違和感が自分の胸のうちに膨らんでしまうからでしょう。新たなパートナーを育てても、そこにわたしたちは最初のパートナーの残像を見てしまう。それでは、健全な信頼は築けません。わたしたちの国では、あくまでも、あなたではないといけないという、交換不可能な愛だけが、信頼をかたちづくることができるのです。 

へその緒の国について

あなたがご存知ないかもしれないということを考慮して説明しておきますと、わたしたちの国ではへその緒が何よりも重視されています。自分の両親とはいつまでもへその緒で結ばれていますし、結婚している場合は配偶者と子供と結ばれています。そうして栄養を供給しあって、互いに助け合って生きる。へその緒が人々のセーフティーネットとなっているわけです。あなた方は生まれるとすぐにへその緒を取ってしまうとのことですが、それでも社会がなりたっているというのは不思議なことですね。

わたしたちの国では、まず、あるカップルが結婚することとなると、結婚式で国に二つ目のへそをあけてもらいます。一つ目のへそはもちろん自分の両親とへその緒でつながっているへそです。人は結婚するとそれとは別に、全く新しいへそを作ることになります。そして国に新品のへその緒を授与され、新郎新婦は新たにへその緒で結ばれることになります。それからスタンダードなコースでは彼らは工場に行って子供を購入します。工場ではわたしたちによって生産されたさまざまな子供たちがベルトコンベヤーの上で回っており、夫婦は順番に回ってきた子供を受け取り、自分たちの新しくできたばかりのへそと子供とのへそとを、夫婦のへその緒で結びます。こうしてへその緒で結ばれた新郎新婦と子供を「家族」と呼ぶのです。

世の中にはたくさんの家族がいて、家族の一員それぞれがへその緒の伸びる限り好き勝手に歩き回るので、ときどきよその家のへその緒とからまってしまうというトラブルが生じます。そのために信号があるのですが、これだけの人々がいるのですから信号だけでどうにかなるものではありません。人と人とがすれ違えばほぼ必ずや、互いの家族のへその緒がからまってしまいます。そういうときは整備士さんがいち早く駆けつけて、からまったへその緒をほどいてくれます。整備士さんはいつの時代でも子供達にとってあこがれの存在です。困っている人を助ける職業が一番人気というのはあなた方の国でもきっと同じでしょう?

むすぶ、つながり、といったものが何よりも重要視されているので、この国では「切る」という行為は縁起が悪いとされています。昨今では人々のへその緒を無差別に切るへそテロリストによる事件が増えてきていますが、それもこの国ならではの犯罪なのでしょう。人々は一度へその緒で結ばれたらよほどのことがなければそれを切ってはなりません。……ということに表向きはなっておりますが、実際にはへその緒切りはしょっちゅうとは言わないまでも普通に行われており、きちんと手術代を支払いさえすれば大概において黙認されています。夫婦の間で切るものもいますが、一度結婚するとへその跡がなかなか消えず再婚するのが難しくなってしまうのであまり多くはありません。一番多いのは、やはり、子供とへその緒を切るパターンです。工場から連れてきた子供が問題児だったり気が合わなかったりその容姿に飽きてしまったりすると、夫婦は子供とのへその緒を切ってまた違う子供とへそを結びます。遺棄された子供は解体工場に運ばれ、まだ使えるパーツだけを取り出し、古くなったパーツは再利用し新しい子供に作り変えます。そのような解体作業や工場での仕事はしばしば切ることを伴うため、安全上の観点からもわたしたち非人間に任せられています。

非人間についても一応お話ししておきましょうか。工場で作られたけれども引き取り手がないまま育っていった子供たちや、さきほど申し上げたように両親に遺棄された子供が解体するにはもう成長しすぎている場合は、そのまま誰ともへその緒で結ばれることなく、工場からの栄養補給だけで育ち、非人間化の道を歩むこととなります。ええ、両親は子供とへその緒をいつでも切ることができますが、子供からは両親とのへその緒を切ることはできません。不公平でしょうか? しかしつながりとはそういうものなのです。もちろん、非人間として育ったとしても、大きくなってから誰かと結婚し、へそをあけて新たなへその緒を結ぶことで人間化することも可能です。

人間化しないのかって? そうですね。いまのところ、人間化の道は考えておりません。いいえ、さみしくないわけではないです。わたしは誰ともへその緒でつながっていないし、わたしという存在が生きていることすら誰も気に留めていないかもしれません。正直なところ、将来の不安がないわけではないし、経済的にも誰のへその緒にも頼れないので贅沢する余裕はありません。ときには両親にへその緒をハサミで切られてしまったときのことを夢に見て、夜中、汗だくになって目をさますこともあります。

けれども、わたしたち非人間は、なんといっても自由です。それはあらゆる不安を背負うことになっても、なお、十分に持つ価値のあるものです。交差点で人々のへその緒が絡み合い、整備士さんに誘導されている間に、人々の脇を、すっと通り抜けていくときのあの軽さ。工場での仕事が終わったあとに、誰にも知られることなく、裏の丘の上で沈んでゆく夕日と二人だけでする密やかな対話。そういったものが、わたしは好きなのです。それに、なんといってもわたしは、この工場での仕事が気に入っています。ありとあらゆる肌の色、眼の色、髪の色の子供たちが入り混じってベルトコンベヤーの上を流れていく光景、それをみていると、わたしはへその緒で誰ともつながっていないはずなのに、工場の子供たちが、みな、自分の家族であるような気がしてくるのです。