海を聴く

海を聴く

     

                               深沢レナ

     

ここのところ雨続きだったけれど

今日は運良く快晴で

約束の時間よりも早く駅についてしまったから

日陰に腰掛けて本を開く

磯のにおい

緑の車両が何本か通りすぎ

軽く汗がにじんできて

顔を上げると

踏切の向こうの郵便ポストの隣に

帽子をかぶった彼女が立っているのがみえる

わたしは立ち上がり

こちら側から手を振る

あちら側から彼女が手を振り返す

遮断機が上がる

    

焼き物屋や土産屋の並ぶ商店街の

突き当たりには波が光っている

湘南にくるのは何年ぶりだろう

以前夫だったひとと

この辺りで一緒に住んでいたのに

彼の顔もここの景色もほとんど覚えていない

連休だからか海岸は家族連れで賑わっていて

カニを捕まえようと親子が走り回っているのをみていると

緊急事態宣言が出ているだなんて

どこか遠くの国の話みたいにおもえる

    

この国の海は濁っているだろうと

あまり期待していなかったけれど

それなりに水は透き通っていて

わたしたちは靴を脱いで

おそるおそる足を踏み入れる

おもっていたほど冷たくなくて

もったりとした砂が心地よくて

二人ならんで足で泥をかきあげながら

ぽつりぽつりと話をする

仕事のこと

本のこと

家族のこと

会わなくなってしまった共通の友人のこと

いつかまた会ったらもうすこしわかりあえるかもしれないね

二〇年後くらいに と彼女がいって

だいぶ先だねと とわたしは笑う

二〇年なんてあっというまだよ

そうかもしれない

    

十一年前にも

学校の近くの川辺にいって

こうやって二人ならんで水面をみながら喋っていた

そのとき語っていた夢を彼女は叶えて

そのとき語っていた夢をわたしは追うのをやめた

でもそのおかげでずいぶんラクになったから

あれは夢ではなくて呪いだったのだろう

ときどき後ろをふりかえって

靴がそこに在ることをたしかめる

白いサンダルのとなりにならぶ灰色のスニーカー

波にさらわれる

少し手前に

    

前にね

島に行って

海に潜ろうとしたとき

その島のひとに教えてもらった

海に潜るときには受け入れるんだって

自分はいつでも食べられていいんだと

そうすれば一体になって

海の音を聴くことができるんだって

はじめはちょっと怖いとおもったけど

きっと

あたりまえのことなんだよね

わたしたちだって奪っているんだから

あたりまえのこと

彼女は裸足でゆっくりと泥をかきあげ

流れおちた水が渦をつくる

わたしたちの冷えたあしもとには

二つの大きな濁った穴ができている

    

上空では

鳶たちが鳴きながら

ゆるやかな円を描いている

スピーカーのラジオからは

今日の死者数がよみあげられる

すこしずつ海の青が濃くなって

遠くの半島にあかりがつきだす

強い風が吹いて

ああ生きてる と彼女がいう

わたしは風に奪われながら

彼女のとなりで海を聴く