詩「遺跡の裏で」

遺跡の裏で

                                       

ダラの運転するトゥクトゥクはすごく揺れる

わたしはどこかで止まってご飯を食べたいというが

ダラはそこで食べていいよというだけで止まってはくれない

今日の遺跡は街から離れたところにあるから時間を無駄にしたくないのだろう

スーパーで買ってきたトマトソースをパンに塗ろうとするが

瓶をあけた途端ソースがワンピースに飛び散ったので蓋を閉める

することもなく

平原を眺める

雲ひとつない

乾季のカンボジア

暑いはずなのに寒気がして

薄いカーディガンを体に巻きつける

うしろからやってきた満員のトゥクトゥクがわたしたちを追い越してゆく

昨日も見かけた欧米人の家族

赤い砂埃にサングラスを下ろす

この地域にはコンビニ並みに遺跡が乱立しているから

観光客たちはスタンプラリーのように次へ急ぐ

9世紀から15世紀まで 

新たな王が即位するたび

その権力を誇示するため競うように寺院が建設されたという

その後400年ものあいだ

存在を忘れられていた遺跡たちは

いまや年末年始も休む暇ない

         

風が吹くと

鳥肌が立つ

この国に入ってからどうも体調が良くなくて

昨日ダラに頼んで連れて行ってもらった

村の呪医(クルクメール)の診療所

腰布を巻いただけの長身痩躯のお爺さん

眼光鋭く

わたしは恐る恐るお供えの線香と煙草と紙幣を渡し

他の患者たちに熱心に見つめられるなか

唾を噴きかけられ

灰色の生温いどろどろの液体をお腹に塗られたあと

朝夕一口ずつ食べるよう植物の根っこのかけらのようなものを手渡された

内心イモリでも食わされたらどうしようと怯えていたから

ほっとしてありがとう(オークン)ありがとう、(オークン)といいながら診療所を後にした

なんだかその一部始終が幻だったように思えてきて

カバンのポケットに手を入れる

ここにある小さな固い感触から

昨日が幻ではなかったことを確かめる

         

なびくダラのシャツは汗でびっしょり濡れている

屋台の立ち並ぶ通り

落ちた食べものを漁る野良犬

道を退こうとしない群衆にダラがクラクションを鳴らす

わたしの顔をじっと見てくる住民たち

彼らはJapanese girl ともコンニチワとも你好(ニーハオ)とも言ってはこないし

目があっても笑わない

ほんの30年前まで内戦が行われていたこの土地

ここにいる人々の誰が加害者で誰が被害者なのか

サングラス越しにわたしも彼らを見つめ返すが

表情が読めない

「ありがとう」と大きな文字で書かれた横断幕の垂れさがった

新設のがらんとした校舎を通り過ぎる

昨日診療所で会ったダラの友人がいうには

校舎があっても教員不足で授業ができないのだという

階級や格差のない〈よりよい世界〉をつくるために

文明で腐敗しきった都市を根こそぎにし

国民の3分の1を消去した彼らは

どんな理想郷を思い描いていたのだろう

         

遠くでは牛たちが草をはんでいる

途中ガソリンスタンドに寄り

赤い髑髏の看板を過ぎて

密林地帯に入り

わたしたちはやっとたどり着く

森の中ひっそりと佇む廃墟

ゲリラたちがこのあたりに無数の地雷を埋めたから

長らく修復の手がつけられなかったのだという

わたしは無言でダラに手を振って別れ

両脇に屹立する蛇神の像のあいだ

長くのびる参道を歩く

ポストカードを売ろうと纏わりついてくる子供たち

水彩画を並べている画家の前を過ぎて

突き当たり

巨大な瓦礫の山と化した正門を見上げる

頂点から見下ろす太陽が眩しくて

こめかみが痛む

         

日陰へ進む

ガジュマルの枝に突き破られ

根っこに飲み込まれた塀

窓枠だけが残った壁を眺めながら

かつてそこにあったはずの完成形を思い浮かべる

王たちは知っていただろうか

自分たちのつくりあげたものがこんなふうに壊れてしまうなんて

隙間に入りこんだ小さな植物の種子に

やがて彼らのつくりあげたものが内側から壊されてしまうなんて

         

記念写真をとろうとしているイタリア人たちから離れ

中国人のツアー客の後ろについて

石の回廊にめぐらされた木の歩道を歩く

内戦で吹き飛ばされた外壁の残骸

蓮の花のレリーフ

階段を上って

中央部に行き

木道の手すりに寄りかかって

祠堂のあったはずの場所を眺めていると

邪魔

という声

不意の日本語に振り返る

日本人の男二人がわたしを見て

中国人は消えろ

と言う

卑猥な単語

笑い声

急に投げつけられた悪意に

わたしは動けないまま

日本へ引き戻される

あの国に置いてきたはずのどす黒い感情が

わたしのなかで新たに芽生え

枝葉を伸ばす

         

日の差し込まない十字回廊

わたしは彼らのすぐ後ろをついていき

勾配の急な階段を下りながら

足を振り上げ

蹴り飛ばす

階段から転げ落ち

呻き声をあげる肉体

わたしは落ちていた壁石の破片を持って

両眼を潰す

(腐ったものは除去しなくてはならない

なかなか死なないから

尖った方で

喉を何度も刺した

血がワンピースに飛び散る

わたしはやめない

これは必要なこと

誰にも支配されないために

〈よりよい世界〉をつくるために

わたしたちは正しかった

汚れた思想は排除して

すばらしい未来をつくろう

増えていく

いくら殺しても殺し足りないから

次々と刺した

人々の生命と安全を守るために

血にまみれたわたしたちの手

転がる陥没した頭蓋骨

わたしたちの足元にうず高く積もる

名を奪われたものたち

その上にそびえる

わたしたちの理想郷

純粋な世界に

         

彼らから離れて

わたしは座っている

崩れ落ちた瓦礫の上に

誰もくることのない

遺跡の裏で

遠くで誰かが歌をうたっている

なじみのない旋律

木洩れ日に揺られながら

わたしはあらゆるものが流れていくのを感じる

怒りやさみしさ

空腹が流れていくのを感じる

体を覆った冷気が

陽光に溶けていくのを感じる

とっくに忘れたはずの記憶が

湧き上がりまた薄れていくのを

いなくなってしまった人たちの顔が

現れそしてまた消えていくのを感じる

苔むした塀をよく見ると

鳥がフンをしているし

蜘蛛は巣をはっているし

蟻は列をなして歩いている

いずれこうやって朽ちてしまうのに

どうしてわたしたちは何かをつくらずにはいられないのだろう

ずっと繰り返してきたのだろう

新たなものがつくられ、完成し、そして崩壊していくのを

自然は口を挟むこともなく

何千年ものあいだ目にしてきたのだろう

         

聞こえてくる旋律をなぞるように

わたしは口ずさんでいる

歌うのはいつぶりだろう

誰に聞かれるためでもなく

誰のためにつくったのでもない

ただの歌

遺跡の裏側なんていう

誰のためにつくられたのでもない

誰に見られるためでもない

ただ存在しているだけの場所

それがわたしに一時の居場所を与えているように

ただ在るということが

誰かのほんの一瞬の救いにつながっているかもしれないと思うと

ただ歌を歌うという行為が

許されているような気がした

そうやって目を閉じて

深い呼吸をして

胸の中にある塊を解かしていくと

わたしと彼らの違いなどまったくなくて

同じところから生まれ同じところに帰っていく

彼らはわたしがそうであったかもしれない姿でしかなく

草も虫も犬も

遺跡も鳥のフンも

みんな結局は同じ

どうしてわたしは草ではないのか

どうしてわたしは犬でもなく

煙草の吸い殻でもなく

わたしという形をしているのか

わたしがこの形であるという現実が伝えようとしていること

長い時間がかかったけれど

なんとなくわかった気がした

         

駐車場に戻ると

ドライバーたちがトゥクトゥクにハンモックを吊るして昼寝している

奥の方で座って待っていたダラが

わたしに気づいて小さく手を上げる

次はどこにいく? と聞くダラに

宿に帰る とわたしは告げる

ダラはただ頷いてエンジンのキーを回す

         

揺れるトゥクトゥク

わたしはバッグのポケットからかけらを取り出し

小さく齧ってみる

口の中に苦い味が広がる

そしてまたお守りみたいにそっとしまう

         

         

         

         

         

         

(2021.7)